WTO事務局長の「今日もジョギング日和」

フランスなどの新聞各紙に見られる夏の連載記事は、言うまでもなく事前に書きためておいてヴァカンスを取得する記者たちに配慮するための便法だが、読み手側も往々にして休暇中であることを考えれば、連載ならなんでもよいというわけでなく、のんびり読んで面白い内容になるような企画を用意しなければならない。その点でスイスの『ル・タン』紙が今年掲載している「走る人々(ジョギング、マラソンなど)」をめぐる特集はなかなか興味深いものになりそうだ。第1回の8月5日付紙面には、世界貿易機関WTO)事務局長であるパスカル・ラミー氏が登場し、彼にとっての「走る楽しみ」を大いに披露している(≪En courant, l’imagination est plus libre≫. Le Temps, 2013.8.5, p.10.)。
現在66歳のラミー氏は、普段は近所、コワントラン国際空港にも近いプティ・サコネックス地区にあるトランブレー公園辺りを軽く走り、週末はより本格的に、少し北方に行ったヴェルソワの森で自然を満喫している。WTO事務局長と言えば国際出張が極めて多い仕事(年間移動距離が45万キロにも及ぶ)だが、彼は出張の時もランニングシューズを荷物に入れるのを忘れず、基本的には毎朝必ずジョギングをしていると語る。公害や交通事情の悪さから走ることができない都市がある(メキシコシティ、デリー、北京、サンパウロジャカルタなど)のは残念だけれど、タージマハールやアンコールワットの周りを走った体験はいつまでも忘れ難いものとなっている。
取材の日の早朝、ヴェルソワの森の入口に現れたラミー氏は、その後1時間ほどかけて池を巡る約7キロのコースを走破した。ジョギングにかける時間は、その日のスケジュールによって40分程度から2時間まで様々ではあるものの、毎回必ず最後に行うのが15分間のストレッチ運動。「以前テニスをしていた時、ケガしてしまったことがあったのですが、今はストレッチをきちんとするので大事に至るようなことはありません」と満足げに説明してくれる。
彼がランニングに出会ったのは、高等商業学校(HEC)での学生時代に遡る。当時、パリ政治学院との対抗競争戦が行われていて、それに参加したのが始まりだった。その後しばらくのブランクがあったが、ピエール・モーロワ首相の官房次長に抜擢されていた1984年頃に、ストレス解消法の一環として再開。それ以来この習慣を手放したことは全くないと、毎朝10キロ走るのを日課にしている村上春樹を引き合いに出しつつ話す。走ることで頭が空っぽになり、想像力が開かれていくような感じがするのが、他では得ることのできない魅力なのだそうだ。もっとも、今から日々のスポーツを自由に選択するとすれば、心肺機能の増進に同じくらい効果があり、それでいて体にかける負担が少ないサイクリングを選ぶかもしれないと率直な告白もしている。
さらに、単なるジョギングでは徐々に飽き足らなくなって、マラソンやロードレースにもしばしば出場するようになった。マラソンだけでも10回以上の参加歴があり、自己記録はブリュッセルで出した3時間40分というのだからかなりのものだ。とりわけニューヨークマラソンの思い出は圧倒的で、街中を走り抜けていくときの爽快さ、沿道で応援してくれる観衆のエネルギーにとりわけ感銘を受けたという。
2005年9月からWTO事務局長として務めてきたラミー氏は、8月末で2期目の終わりを迎える。退任後は生まれ故郷であるノルマンディとパリを行き来しながら活動することになりそうだが、とにかくまずチャレンジしたいと思っているのも、11月のニューヨークマラソンだそうだ。本人にとって4年ぶりのマラソンということで、期待もひとしおといったところだろうか。今後は職業面でこれまでより自由な立場から活動しながら、ますます「走る人生」にも力が入っていくのだろう。ランニングという切り口から個人史を浮き彫りにする、なかなかに印象深い記事であった。