ルーズな親たちに学校が困惑

かつて学校は工場と並んで、民衆に時間の意識、時間を守るという近代的な規律を埋め込んでいくための装置であるとされていた(例えば桜井哲夫『「近代」の意味−制度としての学校・工場』参照)。しかしポストモダンと称される現在では、そんな能書きも今は昔、肝心の時間に対する規律にゆるみが生じているのか。9月23日付のベルギー『ラ・キャピタル』紙は、親が(子どもではなく)学校の時間秩序を無視してふるまう困った事態について伝えている(Trop de retards le matin! La Capitale, 2009.9.23, p.16)。
原則として小学校へは親が子どもを連れて行くわけだが、この3、4年、始業時刻を守らない親子が急激に増加(しかしなぜこの3、4年なのだろう。ある種の転換期なのだろうか)。しかも遅刻は繰り返される傾向があるという。学校側が理由を聞くと、返答は「目覚まし時計が鳴るのが聞こえなかったので」、「途中の道が混んでいたので」、「(学校の近くに)駐車するのに難儀していたので」といった、どれもその気になれば対処可能な言い逃ればかり。学校も業を煮やしており、ブリュッセルの南西、テュビーズにある小学校では、8時45分の閉門時刻に遅れた子どもの出席を認めず、家に帰ってもらうという方針を打ち出した。
興味深いのは、悪いのはあくまでも親であって子どもではないと考えられていること。日本だと、子どもが時間通りに起きられず、あるいは身支度に時間をかけ過ぎて遅刻、というのがありがちなパターンだが、この記事ではそういうとらえ方はされていない。むしろ子どもがママやパパを起こそうとするのに、親が目を覚ましてくれない(!)という例が紹介されているほど。
このほかに、「休暇がこの時期しか取れなかったため」という親の言い訳で、通常の授業期間に長期間休む子どもも現れている(親の休みの都合で子どもが学校を休むというのは日本でも聞いたことがあるような)。リエージュのサン−ルイ小学校の校長、ジャン−ポール・ピルソン氏によれば、約5%の子どもが正当とは言えない理由で休んでいるとのこと。記事全体が嘆かわしい現状を憂うといった書きぶりだが、親が逆ギレする「モンスター・ペアレント」化していないだけ、それでも日本より状況は穏やかと言うべきなのかもしれない。

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同日の『ラ・キャピタル』紙から芸能の話題を少し。フランスの歌姫の一人であるララ・ファビアンが、出身地であるベルギーから大規模なコンサートツアーを開始するということで、インタビューが掲載されている(Le grand bonheur de Lara Fabian. Le Capitale, 2009.9.25, p.39.)。これまでに20年弱のキャリアで1,200万枚余を売り上げてきた人気歌手が、今回は5月に発売したニューアルバムを引っさげ、ホログラムを取り入れた斬新な舞台を展開(ユーミンみたいな感じ?)。「私のなかのすべての女性たちへ」と題されたほぼ4年ぶり(ライブ盤除く)のアルバムは、ナナ・ムスクーリエディット・ピアフバルバラフランソワーズ・アルディなどへのオマージュとして、全篇それらの歌手のカバー曲で構成されている。
そして記事を飾っているのが、女子テニスのジュスティーヌ・エナンとララの大きなツーショット写真。二人は親友とのことで、ジュスティーヌはララのPVに友情出演もしている。エナンもちょうど数日前に、約1年ぶりのコート復帰を宣言したばかり。ベルギーの誇る2人の女性が新たなスタートを切るのを祝う気持ちが紙面に見て取れるようだ。