『どしろうとに語るベルギー史』ってどんな本?

池上彰氏の大ブレークに象徴されるように、複雑な問題をわかりやすく解説してくれる書籍や番組に対する需要は、日本ではますます大きくなっているような気がする。少し前に「猿でもわかるニュース」というテレビのコーナー企画があったことは今でも覚えているが、彼の地でも似たようなコンセプトというか、「どしろうとに語る」というシリーズ本があるそうな。11月24日付ベルギー『ル・ソワール』紙は、「どしろうとに語るウィンドウズ2000」などのラインナップで知られる人気シリーズに、今度はなんと「ベルギー史」が加わったと報じている(La Belgique contée aux ≪nuls≫. Le Soir, 2010.11.24, p.17.)が、はたしてどんな趣向なのだろうか。
記事は2人の著者へのインタビュー形式。アクセル・ティクソン氏(ナミュール大学教員)とフレッド・ステフェンス氏(ルーヴァン・カトリック大学教授)という、ワロン、フラマン両地域の出身者が共同執筆している。ステフェンス氏の説明によれば、「フランスの出版社から依頼があったとき、自分はオランダ語圏の人間なので、フランコフォンの方にも共著者になってもらい、2つのビジョンを1冊に盛り込めるようにしたいとお願いしました」とのこと。そこで、以前にもステフェンス氏と共著の経験があるティクソン氏に白羽の矢が立ち、めでたくこの企画が成就したというわけだ。
現在のベルギーは連邦制の形を取っているが、フラマン地域とワロン地域の共存と葛藤という複雑な事情を抱え込んだ国ゆえに、過去の政体は実に様々。その30万年前から現代(今年6月13日の総選挙まで)に至る歴史を総覧する上では、アプローチに相当の工夫がいる。両著者は、「国家の歴史ではなく、国民の歴史でもなく、アイデンティティの歴史でもなくて、現在ベルギーが存在する領域、そこに成立した社会の歴史を書くように心がけました」と述べているが、これは真っ当な記述の方法だろう。領域(テリトリー)の歴史と規定することで、揺れ続ける政治の動きにもかかわらず、ぶれない叙述が可能になるのではないかと思われる。
ベルギー社会の歴史を通底する傾向として、ステフェンス氏は、人々が国とか国家といった概念よりも、具体的に生きられている地域なり区域といったものに結びつきをよりはっきりと感じているのではないかと指摘する。またティクソン氏は、第二次世界大戦以降、各種各レベルの政治機構(ベルギー連邦、言語共同体、地域、州など)が、一見屋上屋を重ねるかのように積み上がってきているにもかかわらず、人々がほとんど違和感を持たないようにみえることが興味深いとしている。
現在の政治情勢を考えるとやはり問いたくなるのは将来像。ステフェンス氏によれば、フラマン地域がアングロ−サクソン型モデルの影響を強く受け始めているのに対し、ワロン地域では国家管理指向(伝統的なフランス型)が相変わらず根強く、経済モデルやひいては人々の意識の分裂状況には深刻なものがあるとのこと。一方でティクソン氏は、今ベルギーが存在する領域が、これまで何度となく起こってきた抜本的な政治・社会変動の結果としてあるということに注目し、今後ありうべき変動にもかかわらず、そこに住む人々は何らかの形でそれに適応していくことになるのではないかと、やや楽観的な立場をとる。歴史を問うことは現代、そして未来を問うことと言われるが、フラマンとワロンという2つの文化をまたいで書かれたこの歴史入門書は、ベルギーの現代と未来について多様かつ洞察の深い視点を提示することにそれなりに成功しているのではないかと思わせる。
一つ疑問も兼ねて感想を言えば、記事からはこの本が本当に「どしろうとに語る」もの、すなわち複雑なベルギー史を非常にわかりやすく解説しているものなのかどうかがよくわからなかった。まあそのあたりは、いずれ書籍(売価22.90ユーロ也)に直接あたることで体験してみることにしたい。