ブリティッシュスクール生徒が療養所を訪問

コミュニティの生活や文化を豊かにしていくためには、そこで過ごす時間の長い子どもや若者、またお年寄りによる地域との関わりが大きな意味を持つ。まして、コミュニティの中で両者が交流していくことができれば、それはまたとない豊かな場になるのではないか。4月15日付のベルギー『ル・ソワール』紙は、ブリティッシュ・スクールの生徒と地元療養所の患者との交流実践について伝えている(La British School offre son affection. Le Soir, 2011.4.15, p.6.)。
ブリュッセルのブリティッシュ・スクールに通う高校生約10名が、水曜日午後の1時間、認知症の老人が多いカリーナ療養所を訪れるようになったのは昨年12月から。同校のジュヌヴィエーヴ・オアイヨン先生が提唱し、ボランティアベースで始まったこのプログラムは、約半年たった今も順調に継続されている。先生はまず通常の授業の中で、アルツハイマーの原因は何か、認知症になると本人や家族の生活はどうなっていくのかなどについて詳しく説明した。そしてそういう予備知識があったからこそ、生徒たちは多少まごつきながらも、老人たちとの触れ合いのひとときに少しずつ馴染んでいったのだと言える。
天気の良い日には、高校生はお年寄りとともに庭に出て、車椅子を押しながら散歩をしたり、ちょっとしたボール遊びをしたりする。屋内ではおしゃべりやゲームを楽しむ。そして老人たちの手をさすりながら、あれこれと話かけたりすると、間遠とはいえど、少しずつコミュニケーションが生まれたりもするのだ。
4月13日、高校生たちはコーラス部のメンバーを連れて施設にやってきた。所内のホールに60人ほどのお年寄りが集まりコンサートの開始。聴衆は、「夢のカリフォルニア」や「スタンド・バイ・ミー」が合唱されるのを聞き、昔の懐かしい日々に思いを馳せているように見えたという。
16歳のジョー君は、「最初のうちは、どうやって認知症のお年寄りと接していけばよいのかわかりませんでした。でもやがて、手を握り、名前を呼び、ゆっくりと話すようにすればよいということがわかってきました」と率直に語る。また、デンマーク出身のセバスチャン君は、「この場所で、来週はもう自分のことを覚えていない人たちと過ごす時間をかけがえのないものと思っています。僕は、自分の相手に対する感情的な関わりをコントロールしていくことを学びました」と、やや大人びた口調で施設での体験を説明している。
一方、患者たちの家族やスタッフにとって、若者が定期的に訪ねて来てくれることは大きな喜びになっている。「夫がこうした形で施設の外の世界とつながる機会を持てるのはとても良いことです」というのは、アルツハイマーを病むサルヴァドールを妻として支える75歳のアリシア。また療養所長であるラザール・ムブルー氏は、「ここは患者たちにとって、言ってみれば人生の最後を過ごす場所です。一番大事なことは、高校生たちのこうした行動が、単調な日常に変化を与えてくれることなのです」と力説し、ブリティッシュ・スクールの取組みへの感謝を惜しまない。
オハイヨン先生は、「片方に、認知症患者が抱える果てしのない孤独。そしてまた片方に、母国から離れ、祖父母と会う機会がほとんどない生徒たち。だから、老人と若者との出会いになにがしかの喜びが生まれるのです」とも説明している。そうか、施設訪問プログラムを定着させているのが、ベルギー国内の普通の高校ではなく国際学校であることには、そのような背景も少なからずあったのだ。

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パリで活躍している日本人デザイナーに関する記事を続けて発見。『産経新聞』は森英恵氏へのロングインタビューを5月11日付、12日付で掲載。未だに日本人唯一のクチュリエールというのだから偉大な存在だ。オートクチュールの今後の展望に関しては「人間が作る美しいものとして、ぜひ残すべきだと思います。手でものを作らなくなると、人間の存在感というのかな、希薄になってゆく気がします」と語っている。一方『日本経済新聞』は5月12日付夕刊で、70年代以降スティリストとしての活動を続ける高田賢三氏が、東日本大震災の被災者を支援する公演をパリで実現した様子を詳しく報じている。