王宮前の公園にあるべき品格を

ブリュッセル中心市街、その高台に位置し、周囲を王宮、連邦議会アメリカ大使館、ブリュッセル首都圏地域首相府、フランス語共同体議会等に囲まれたブリュッセル公園。1775年設置という200年余の伝統と、王宮前というパリのチュイルリー公園に匹敵するような抜群の立地を誇り、手元にある『地球の歩き方 オランダ・ベルギー・ルクセンブルク ‘08〜’09』では「昔はブラバン公の狩猟場であったが、1775年にフランス風の公園に造り替えられた。1830年の独立時には、オランダ軍との戦地となったが、今は緑と彫刻像と噴水が平和な時を刻んでいる」と、割に簡潔に紹介されている。ところが最近、一等地と目されるこの公園が、現在は必ずしもそのあるべき品格を備えていないのではということが問題になっているらしい。6月10日付『ラ・キャピタル』紙は、そのあたりの実情を大変率直に伝えている(Le lamentable état du parc de Bruxelles. La Capitale, 2011.6.10, p.4.)。
新聞記事が伝えているのは、要するに、この公園が相当荒れた状態になっているということ。確かに、数多く置かれたゴミ箱では定期的にゴミが回収されるなど、最低限の維持管理はされていると言えるかもしれない。しかし例えば、本来芝生が植わっているべき多くの場所は、芝生や他の植物が軒並み剥がされ、地面がむき出しの状態になってしまっている。2か所に設置されている噴水のうち、王宮側の1か所は運転を停止しており、噴き上がった水が溜まるべき池の部分には雑草が生え始めているありさま。また、ベンチや街灯、ひどいところは樹木それ自体に派手な落書きがされており、さらに彫刻像がどこかに持ち去られて支柱だけが残されている箇所すらある。王宮に面した四阿のガラスは割れており、公園外部からの景観という点でもかなり無残な状態になっている。
こうした状況に対し、ブリュッセル市議会のジェオフロワ・クーマンス・ドゥ・ブラシェンヌ氏は厳しい批判の眼差しを向ける。彼が主に問題としている点は、最近になってブリュッセル公園の使用条件が大幅に緩和されているということ。おかげで、昨年トゥール・ドゥ・フランスがブリュッセルを通過した際には園内にトレーラーが多数出現し、さらに時には、最近流行っているアペロ(自由参加型パーティー、当ブログ2010年9月1日参照)まで園内で開かれ、大騒ぎを繰り広げる始末。24時間開門しているため、夜間は売春婦も出没するようになったと言われるこの公園を憂うるクーマンス・ドゥ・ブラシェンヌ議員は、さしあたり利用規則を大きく園内に掲示することから始めて、公園にもう少し秩序を取り戻すべく市が行動を起こすべきだと主張している。
こうした声に対し、ブリュッセル市役所スポーツ・緑地及び環境担当助役のベルタン・マムパカ氏は、芝地の上をジョギングしないよう注意を促す看板を設置する必要性等を認めるとともに、タイル式の芝生を地面に敷き詰めることで素早く環境改善を図りたいとしていて、芝生を(形式はともあれ)取り戻すことには力を入れている様子が伺える。しかし一方、噴水の故障、胸像や四阿の破壊などは都市計画の担当者が対応すべきで、自分の所管ではないと縦割り行政意識を前面に出してしまっているのはいかがなものか。他部署とも協調しつつ、公園の適切な活用と美観の維持に努力したいぐらいのことは言ってもらいたいものだ。
ブリュッセル公園は、設置後約20年が経過した1793年、フランス革命の蜂起兵に侵入され、置かれていた歴代ローマ皇帝の彫像や胸像が引き倒される等の被害を受けている。その後ベルギー独立戦争時の1830年9月には、反徒に包囲されたオランダ軍の避難地ともなった。近現代史の激しい舞台となってきたこの公園を、そうした歴史的な重みを維持しつつ、市民に愛される存在にするには、今一つの手入れが必要だろう。当方も落書きだらけではなく、整然と美しさを保ったベンチに腰掛けて、ブリュッセルの街をゆっくり眺めるひとときを得たいものだと思っている。