あるハープ奏者の来し方、そしてふるさと

どんな技能であれ、それを基にプロとして活躍できるほどになるためには相当の鍛錬を必要とする。クラシック音楽の世界はなおさらで、幼少期から厳しい訓練を積んでも、プロの演奏家として生きていける者は一握りしかおらず、だからこそ彼らが成長してきた道のりは、大方の興味を引く事柄になるのだろう。7月12日付ベルギー『ラ・キャピタル』紙は、外国で活躍するベルギー人についての連載の一環として、ブリュッセルの南東200キロ、リュクサンブール州アルロン市出身の30歳、パリ国立歌劇場管弦楽団の第1ハープ奏者として活躍するダヴィド・ルートヴェート氏に取材した記事を掲載している(”Très vite, j’ai su que je voulais être harpiste”. La Capitale, 2011.7.12, p.9.)。
ルートヴェート氏がハープを始めたのは6歳の頃。その後ほどなくして、演奏をなりわいにしたいと思うようになったというのだから驚く。初めはリュクサンブール州内の音楽学院で学び、14歳の時に最初の賞を獲得。それを期にフランスはリヨンに住む大家のもとでレッスンを受けることとなり、とは言っても地元の高校で普通の勉強をする必要もあったため、彼は毎週末、3〜4時間の受講のために往復で計14時間も列車に乗って通い続けたのだという(若いとは言えきつかっただろうなあ)。
18歳、高校卒業と共に親元を離れ、まず王立ロッテルダムコンセルヴァトワールに入学して、1年後にはそこで賞を取るまでに成長する。すかさず彼は、ハープを学ぶ上での最高峰と位置付けられるパリ国立高等音楽院への入学試験を受け、見事に合格。4年間の課程を修了して学院内での1等賞に輝き、各種のコンクールへの引き合いも舞い込むようになる。ただこの世界が厳しいのは、仮にパリ音楽院を卒業したとしても、それだけではプロになるためにはなにほどでもないということ。オーケストラに入団するための試験に受かるか、いわゆる国際コンクールで入賞することが演奏家への必須条件となる。彼はこの両方を受けるために、ヨーロッパ内だけでなく、アメリカやタイ、中国、台湾等のアジア諸国をも歴訪した。その過程では、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団などいくつかのオーケストラで演奏する機会も得ている。こうした真摯な努力の甲斐あって、2005年12月にはパリ国立歌劇場管弦楽団の第1ハープ奏者の地位を射止め、今日に至っている。音楽院修了からわずか3年後ぐらいの就職だから、これはかなり大したものと思う。
オペラ座に詳しい方なら御存知の通り、パリ国立歌劇場管弦楽団はオペラ・ガルニエとオペラ・バスティーユ(新オペラ座)の2か所を本拠地とし、その他外国公演も積極的に行っている著名なオーケストラの一つ。団内には緑組と青組の2つがあり、同じ日に緑組がガルニエ、青組がバスティーユで演奏したりするそうで、それだけ聞くと宝塚のよう。ただルートヴェート氏曰く、組の変更もしばしばあるということで、組分けはそれほど厳密なものではないらしい。ちなみにハーピストである彼は、演目によって出番があったりなかったりするので、プログラム次第で両方の組を行き来しているのだそうだ。
パリ在住者としての彼に、お薦めの過ごし方を3つ挙げてほしいと頼んだら、「サン−ジェルマンでジャズを聴くこと」、「サン−ルイ島で一杯やること」、「トゥール・ダルジャンでの食事(もちろん招待されて行く方が嬉しいが、いずれにしてもその名声に恥じないレストランとの評価)」という答えが返ってきた。また、天気がよければワインボトルを抱えてちょっとピクニックと洒落込むのもおつだという。そんな彼でも故郷であるアルロンへの思いは深く、パリからそれほど遠くないということもあってしばしば帰省をする由。「今一番懐かしく思っているのは、アルロンでの人の優しさとか温もりです。リュクサンブール州には生活の真の心地よさがあると思います。人々もみんな明るいですし」。故郷での安らぎが、並外れた厳しさであろうパリでのプロの演奏家としての彼の支えとなっていることは間違いない。