音楽の授業がないなんて

当欄ではつい先日、ブリュッセル・ジャズ・オーケストラやベルギー国立管弦楽団の話題を取り上げたばかりだが(それぞれ5月2日付、5月9日付ブログ)、ベルギーの各種音楽文化が充実している背景には、当然幼少期からの教育がしっかりしているということがあるのかと思ったら、少なくとも学校においては全然そうではないようだ。むしろカリキュラムとしては、音楽教育はほぼ置き忘れられている状態にあるといっても過言ではない。5月2日付の『ル・ソワール』紙は、意外とも思えるこの事態について、改めて問題提起を行っている(L’école a-t-elle oublié la musique? Le Soir, 2012.5.2, p.15.)。
ベルギー、とりわけそのフランス語圏において、学校の音楽教育は極めて乏しい。初等教育では公式の授業体系に音楽は一切組み込まれていない(教師陣と市町村との協力により、特別授業的なものが組まれている学校もなくはないが、例外に留まる)。中等教育では、1年生と2年生に対して半年、週1回の授業が配分されている(ちなみに残りの半年は「造形美術」の授業になるらしい)が、それで全部。初等・中等教育のいずれにおいても、最低週2回は授業をするイギリスは遠く及ばず、中学校(コレージュ)で週1回確実に授業があり、幼稚園や小学校でも外部専門家を招いての音楽教育の実践が推し進められているフランスにも大きく引き離されている。中等教育の後半に選択制が導入されるまでは(原則的に)必ず音楽を履修することになっている日本からしても、ベルギーの現状はなかなか想像できないのではないか。
しかも、このような「ていたらく」になっているのは必ずしもこの国の伝統ではない。ブリュッセルのスヘルベーク地区で細々と音楽教師を続けているアンリ・ルイ氏によれば、1970年代までは小学校の高学年にも授業があり、また中学1、2年でも通年で週1回のコマが確保されていたとされる。その結果、例えば60歳の人に話を聞けば、学校で音楽を習ったことをよく覚えているのに、現在教師をしている現役の人たちはほとんどそのような体験がなく、そのため(仮に公式な授業の枠外で多少とも音楽を教えようとしても)何をどうしていいかわからないといわれる。
一方、課外で青少年が音楽を習うチャンスは充分すぎるほどある。専門学校やいわゆる音楽教室などが盛んに生徒を募集しており、将来の音楽家はこうした場を経て育っていくのだろう。ただこれらはあくまでも公の授業外であり、当然受講料を必要とする。家計が厳しく子どもを学校にやらせるだけで精いっぱいといった家庭では、課外の教室に行かせることは困難であり、つまり子どもが音楽に触れる可能性自体が、生活格差の影響を強く受けていることになる。ナミュールにある音楽教育高等学院(IMEP)の教員、サラ・ゴルドファール氏は、「音楽の授業は(子どもたち)全員のためにあるべきです」と述べて、あくまで学校でそれなりの授業を実施する必要があると主張している。
当面、相対的に課題が大きいのは、多少とも授業があり、音楽を専門に教える教諭もいる中等教育よりも、授業がほぼ完全に消滅している初等教育の方。小学校に音楽担当の専門教諭を置くことはやはり考えにくいので、当面は普通の先生が算数や歴史・地理などと同様に音楽を教えることを想定しなければならないが、本当に実施するとなると先生たちの重荷になるのはほぼ間違いのないところだろう。同じIMEPの教員、カトリーヌ・ドゥブ氏は、「小学校の先生たちが校外の音楽専門家(ゲスト講師)と共に授業を担当するという方法があります。両者それぞれなすべき役割があるものです」と説明する。また前述のゴルドファール氏は、「フランドル(オランダ語圏)では、音楽専門学校の講師が(組織的に)小学校に派遣されています。もし1日その学校にいるとすれば、6つのクラスで教えることができます。(このような形でゲスト講師に来てもらって授業を実施し)学校が週2回分の授業の講師謝金を支払うというのは、必ずしもあり得ない話ではない。なぜなら多くの音楽家は失業(に近い)状態にあり、失業は社会保障に負担をかけることだからです」と、事例も挙げながら具体的な方策を提案している。
確かに、初等教育で実際に音楽の授業を復活させるとすれば、それは先生方と音楽家(または音楽家の卵)の組み合わせで行うというのが当座もっとも望ましそうではある。あとはこうした提案を政府が多少とも受け入れるかだが、財政危機のさなかでもあり、実際のところ果たして展望はあるのだろうか。