公文書館の大規模移転作業がスタート

日本では2009年に公文書管理法が成立して以来(2011年施行)、公文書の保存と利用に関する意識が多少高まっている様子も窺えるが、すでに聞こえて来ているのが年々増え続ける文書を収蔵するスペース確保の問題。この点は公文書先進国?であるフランスも同様のようで、このたびパリ北部に国立文書館の第二の分館が設けられることになった。5月23日付の『ル・パリジャン』紙パリ市内版は、本館からこの分館への史料移送作業が開始された様子を伝えている(Les Archives nationales ont fait leurs cartons. Le Parisien – Le Journal de Paris, 2012.5.23, p.4.)。
パリ3区、市役所のやや北側のマレ地区にあるスービーズ館(及び隣接の建物群)に拠点を置く国立文書館。1808年以来この場所に居を構えているが、収蔵文書の増加から、1969年にはフォンテーヌブローに分館を設置し、現代の公文書はこちらに収容することとした。しかし引き続きキャパシティに問題が生じてきているため、第二の分館をパリ市の北郊、サン−ドニのすぐ北側にあるピエールフィット−シュル−セーヌ市に設置することとし、現代的な建物がほぼ完成しつつあるところ。今回はフランス革命以降の文書をサン−ドニ、それ以前(アンシャン・レジーム期など)の文書や公証人文書原本をスービーズ館等にという配置を採ることになった(ナポレオンの遺言書やマリー・アントワネットの自筆による最後の手紙など、フランス史上とりわけ重要な約800点の史料はそのまま残置)ため、フォンテーヌブロー分館新設の時とは違い、大規模な移送が不可欠になったというわけである。
トラックを使った輸送作業に向けた準備はすでに移送前日から始まった。運ばれる文書類が入った箱がキャスターの付いた荷車に積まれ、その上から青色の厚手のビニールシートで梱包が施される。一方で7.5トンのトラック(美術品の運送を専門とする特別の車両)が、建物の壁を傷つけることのないよう最大限の注意を払いながら、搬出口のそばに横づけになった。5月22日午前8時40分、最初の荷車が搬出口に姿を現し、慎重にトラックの中へ詰め込まれる。作業はさらに続き、合計で荷車10台分、約600箱の文書が収載されたトラックは、慎重に封印を施された後で、ピエールフィット−シュル−セーヌ分館に向けて出発した。
この日の搬出開始までには実に5年の準備期間がかかっている。移送の対象となる総延長約53キロの棚に収蔵された文書のうち、30キロ分の保存状態が十分に良好とは言えず、埃・塵の除去や除菌等の作業を事前に施す必要があった。除菌については、最近数か月間に古文書保存を専門とするいくつかの業者が作業を請け負い、急ピッチで仕事を進めたという。また移転に際して、将来のデジタル化等も見越しつつ目録の整備・修正も実施され、各史料にはバーコードが付与された。
移送作業は、総経費約1,900万ユーロ(資料清掃作業等の分も含む)を投じ、1年をかけて実施する予定。完了のあかつきには国立文書館は3館体制となり、時代ごとに振り分けられた史料が確実に未来へ向けて保存される環境が築かれるはずだが、片や公文書は現在も毎年棚延長4キロ分ずつ増えており、今後も収蔵場所については悩みが尽きなさそうだ。国立図書館や文書館は、設立の趣旨からいって史資料を捨てられないだけに宿命的ではあるが、厳しい課題ではある。