4つの炭鉱群を世界遺産に登録

世界遺産への登録は、その対象を有する地域に誇りの意識を持たせるばかりでなく、最近では観光面での効果も明らかになっている(観光客の増加が遺産の劣化をもたらすという皮肉な現象もあるが)だけに、どの国や地域でも推薦活動には力が入っている。そんな中、ベルギーのワロン地域圏はこの7月、新たな世界遺産登録決定に湧いた。7月2日付の『ル・ソワール』紙は、大きな写真と共に新しい世界遺産誕生をめぐる概要を紹介している(Les mines wallonnes sont universelles. Le Soir, 2012.7.2, p.6.)。
今回、ロシアのサンクトペテルスブルクで開催されたユネスコの第36回世界遺産委員会で選定されたのは、19世紀以降栄えた同地域圏内の炭鉱群で、東西170キロに点在する4つの鉱山跡地が同時に登録されることになった。決定の根拠となった世界遺産登録基準は、「人類史の重大な時代の例証になっていること」と、「人類の価値の重要な交流を示していること」の2つ。後者の「交流」については、19世紀当時、イタリア人労働者が多数この炭鉱で働いたことから、食文化(例えばパスタ)など多様な交流が生まれていたことが考慮されたものと考えられている。ちなみに今回は、フランス北部(ノール−パ・ドゥ・カレー地域圏)の鉱山も同時に世界遺産に指定されているので、別箇の指定とはいえど選定側が事実上地域的な連続性を重視したことも窺える。
今年の登録に至るまでには少なからず障壁もあった。2010年の最初の推薦時には、鉱山の保存状態や、周辺地域(「緩衝地域」とも呼ばれる)の環境等が問題視され、選定を逃している。その後ワロン地域圏では指摘の点を改善するために注力し、それが認められて2年後の栄誉となったわけである。
4つの炭鉱跡地の歴史と現況にはそれぞれ特徴がある。ブレニー−ミールは唯一、鉱山内の探索ツアーに参加できるのが興味深い。カジエの森もツアーこそないものの、往時の炭鉱の景観をよく保存している感がある。一方、グラン−オルニュでは鉱山全盛時の労働者・経営者の住宅が見事に保全されているのが特色。同様にボワ−デュ−リュックには17世紀に起源を有し、19世紀に発展した炭鉱労働者の住宅街が残されており、しかもそれが一種の「産業民俗博物館」として、当時の労働や生活の様子を伝えてくれている。
こうしてこれらの鉱山跡地群は、トゥルネーのノートルダム大聖堂、各種の鐘楼群、サントル運河に敷設されているリフト、シュピエンヌにある新石器時代の火打石採掘地等と並んで、ワロン地域圏の世界遺産ラインナップの一翼を成すことになった。同地域圏政府が観光の観点から、これら登録遺産に大いに期待し、また具体的なツーリズム戦略を展開してくるのは間違いないだろう。それにしても、近代産業革命を記念するこうした施設が世界遺産に認められていくことは、例えば日本においても、「富岡製糸場と絹産業遺産群」などの候補地がいずれ登録される可能性に道を開いてくれているようにも感じられる。後は保全状況や周辺環境がどのように評価されるかだが、近い将来の吉報を楽しみにしたいところだ。