国王譲位の深層に触れる

今の世の中、王室・皇室を持つ国において即位式と言えば、一般にはお祝いムード一色といったイメージで捉えられるように思う。ところが今般のベルギー国王の譲位、そして新国王の誕生は、もちろんめでたい行事ではありながらも、同時に重大な政治的含意を有する出来事と受け止められている。7月11日付のフランス『ル・モンド』紙は、ベルギーの政治社会情勢を確認しつつ、この出来事の持つ意味と展望について解説、検討している(La tâche écrasante du nouveau roi des Belges. Le Monde, 2013.7.11, p.7.)。
7月3日、20年間ベルギー国王であったアルベール2世はテレビ演説で、高齢(79歳)や健康状態を理由に7月21日をもって自ら引退し、彼の長男であるフィリップに譲位することを発表した。アルベール2世の先々代に当たるレオポルド3世は、第2次世界大戦後に王位に復帰しようとした際、その是非を巡って国内を二分する論争を巻き起こし、結果として長男ボードゥアンへの譲位を余儀なくされている。また即位したボードゥアン1世は敬虔なカトリック教徒で、1990年には中絶合法化に関する法律の裁可を拒む(この際は政府が国王の権限を一時的に代行するという形で事態が収拾された)という形である種の気骨を示してもいたが、1993年に急死している。こうした経緯をみると、今回の譲位は極めて平穏な形でなされる理想的なものと見えなくもない。
しかし、周知のとおりベルギーは、その国家体制について極度の困難に直面しており、王制もそれと無縁ではありえない。フランドル地域圏とワロン地域圏の間の深刻な対立、そして分離(地域独立)を志向するフランドル側の遠心力を前にして、もはや国王こそがベルギーを一つの国たらしめ、国民統合を図る上での最後のよすがといっても過言でない状況が続いている。経済的に優位に立ち、それ故独立の動きが止まないフランドル地域圏で、国王の存在がそれほど大きな意味を持たないのに比べ、ワロン地域圏からすれば王制はある種、自らの地域の経済・社会を守るためにすがりつく対象になっているとも言えよう。歴史的には社会主義的発想に傾きがちで、王制にはややもすると敵対傾向のあったワロンが熱烈に国王を支持し、一方でカトリック信仰が強く国王の存在にも親和性が高かったフランドルが懐疑的な立場を取るようになっている(右派・地域主義政党である新フラームス同盟のバルト・デ・ウェーフェル党首はフィリップの即位に疑義を呈しているという)というのも、よく考えれば逆説的だ。
実は、エリオ・ディ・ルポ首相(フランス語圏社会党出身)をはじめとする現在のベルギー連立政権は、アルベール2世に対して少なくとも来年までは引退しないよう懇願していたとされる。来年は総選挙が予定されており、国王は選挙後の政権樹立に際して(おそらく前回同様、右派・地域主義政党が台頭し、安定政権を成り立たせることが困難な情勢下で)大きな役割を果たすことを余儀なくされる。友好的な性格だった父と比べて人柄に難があるとも評されるフィリップのもとで、複雑かつ繊細な政権協議が無事にまとまるのか。協議の行方次第では、前回選挙後のような長期間の政治空白をもってしても収まらず、ベルギーの国としてのかたちが(分離の方向で)本当に変わってしまうことがあり得るだけに、新国王が抱えた重荷は非常に巨大なものと言うほかないだろう。譲位をただ「めでたい」と済ませるわけにいかない所以である。