「知識人」はテレビに必要か?

「知識人」という大仰な構えが相変わらずフランスっぽいが、日曜発行の週刊新聞『ジュルナル・デュ・ディマンシュ』の12月21日付けでは、いくつかのニュースショーや討論番組を取り上げ、それらの司会者に、番組のゲストとして知識人(哲学者や歴史家といった学者を意味するらしい)を招くことの意義を尋ねている(Les intellectuels passent-ils bien à la télé? Le Journal du Dimanche, 2008.12.21, p.40.)。以前はベルナール・ピヴォ氏司会の伝説的書評番組「アポストロフ」(1990年まで15年間続いた)などが放送されていて、知識人にもテレビでの存在感があった(桜井哲夫『サン・イブ街からの眺め』ちくま学芸文庫、1993参照)が、今はどうなのだろうかという問題意識が新聞側にあるらしい。以下各司会者のコメントより。
公共放送フランス3「今夜こそ語ろう」フレデリック・タデイ氏:知識人は午後7時台といった早い時間帯には向かないと思う。でも優れた人選をしてきちんとした質問をぶつければ、すばらしいコメントが得られる。
政治報道専門チャンネルのプブリック・セナ「メディチ家の図書館」ジャン−ピエール・エルカバック氏:テレビに出る知識人がいつも同じメンバーになり、また同じテーマを繰り返しがちなのは良くない。歌手や女優などと同列扱いというのも困る。私の番組では知識人に1時間じっくりと議論してもらうようにしている。
欧州国際放送アルテ「哲学」ラファエル・エントーヴェン氏:知識人をお飾りとしてゲストに呼んでいる番組が多いと思う。私にとっては、イデオロギー的でなく考え方の柔軟な30代ぐらいの学者が興味深い。ゲスト選びの基準は、優れた知見の持ち主であること、それに弁が立つことだ。
有料衛星放送カナル・プリュス「グラン・ジュルナル」ミシェル・ドゥニゾ氏:私は知識人をスタジオに招くことを全く躊躇していない。優れた知識人がゲストの回の方がかえって視聴率が上がるぐらいだ。
総じて「自分は知識人をゲストにして知的な番組を放送している」と言いたげだが、実際はいかに?番組自体のカラーもそれぞれ異なるので、一概に結論づけられないとは思うけれど。アルテ以外の3つの番組はインターネットで日本からも視聴可能なようなので、これから少し注目してみよう。

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日本経済新聞』12月24日夕刊の「今年の収穫:映画」で、ニコラ・フィリベール監督のドキュメンタリー「かつて、ノルマンディーで」を二人(中条省平氏、村山匡一郎氏)が挙げているのを見て驚き。確かに様々な角度から思いを深められる良い映画だったが、そこまで卓越した作品(との評価)だったとは。今年あまり映画が見られなかったので、来年は捲土重来。