門を閉ざしたサンラザール駅

パリに限らずヨーロッパ大都市のターミナル駅はどこも趣があるもので、用がなくても立ち寄ってみたくなる(犯罪の溜り場という面も否めないが)。そんなターミナル駅の一つ、ノルマンディ方面への基幹路線の始発駅であり、1日に約45万人の乗降客が通過するサンラザール駅が、1月13日に全面閉鎖の憂き目に会った。運転士のストライキに拠るものだが、通常のストではここまでの事態に陥ることは珍しい。地元『ル・パリジャン』紙は、翌日1月14日付けの紙面で、事の顛末や人々の表情などを詳しく伝えている(Des milliers de voyageurs privés de train. Le Parisien, 2009.1.14, pp.2-3.)。
昨今の経済不況に基づく労使紛争の激化による事件かと思いきや、背景となっているSNCF(フランス鉄道公社)の経営側と労働側の対立内容は、もっと一般的なものだったらしい。発端は12月14日、経営側がノルマンディ方面の輸送強化を打ち出し、勤務の激化を恐れた労働者がサンラザール駅発の一部路線でストを打ったことに遡る。その後も労使の対立は解けず、ストは断続的に実施された。そして1月12日、ある運転士がパリ郊外のメゾン・ラフィット駅で5、6人の若者から暴行を受けた事件をきっかけに、運転士の安全確保が要求事項に加わって一気に労働者の気勢が上がり、翌日の全面ストに至ったというわけである。
ル・パリジャン』紙は、この大規模紛争の原因の一つに、経営側の過度の強硬姿勢を挙げている。SNCFのパリ郊外路線部長であるジャン−ピエール・ファランドゥ氏は、「運転士たちの要求は受け入れ難く、根拠もない」と断言した。年末年始休暇を引き伸ばすためにストしてるんだろうと皮肉を言った経営幹部もいたという。「こんな軽蔑を受ける状態では、対話は不可能だ」と、労働団体シュド・ラーユのドミニク・マルヴォー氏は憤慨していた。その他、事件の主な舞台となったサンラザール駅に経営側の代表が不在だったこと、労使協議組織である企業委員会の代表選挙を3月に控え、SNCF内の各労働団体(フランスは各種の労働団体が同一組織内で群雄割拠しているのが普通)がしのぎを削る状態にあったことも、混乱に輪をかける要因となった。
 13日は通勤時間を過ぎたあたりから郊外路線や近郊線が全面的にストップ、午前10時には騒乱を恐れてサンラザール駅が閉鎖された。もっとも、大混乱が生じたことで労使協議が急速に進み、運転士の安全要員の増強、他地域からの配置転換による運転士数の増加の2点で経営側が譲歩したことから、ストは午後7時頃から収束に向かうことになる。しかし、9時間も運行が全面マヒした影響は大きく、夕方には多くの通勤客が帰路を求めて駅前に押し寄せ、7時10分に門が開かれ運転が再開されても、混乱は一晩中続いた。7時45分発の列車にようやく乗り込んだある女性客は、新聞記者に「今日は検札に応じません。私もストライキします」と、疲れをにじませながらも冗談交じりに宣言していた。
170年以上の歴史を誇るサンラザール駅。モネがしばしば画題に使い、クシシュトフ・キェシロフスキ監督が映画「ふたりのベロニカ」でヒロインを彷徨わせる舞台に選んだサンラザール駅。ターミナル駅に訪れた9時間の空白は、ひたすら長く、重苦しい時間だったのだろうと想像する。