ブルターニュ拡大運動は成就するか

フランス西部のブルターニュ地方は、フランス国内にあってブルトン語という独自の言語やそれに基づく文化を保つ地域として知られる。篠沢秀夫『フランス三昧』(中公新書、2002)によれば、ケルト人がローマに征服された後、ローマ発の文化やラテン語を導入した結果、現在のフランス語やフランス人があるのに対し、ブルターニュでは5世紀にブリタニア(現在のイギリス)からケルト人が移住したことから、かえってケルト系の文化が保たれたのだという(34-35頁等)。
第二次大戦後、欧州統合が進むとともに欧州各地の地域主義が活性化したというのはもはや定説。ブルターニュでもこの時期に地域文化復興運動が盛んになって、ブルトン語のリセでの教育、さらにラジオ放送などが開始されている。ところが、最近のブルターニュ地域運動は、従来の文化運動とは異なる様相を呈しているらしい。以前に取り上げた『レゼコー』紙と共にフランスの経済紙の一角を占める『ラ・トリビューン』紙が、3月5日付けの紙面でそのあたりを詳しく伝えている(Les patrons bretons rêvent de réunifier leur région. La Tribune, 2009.3.5, p.12)。
経済紙が報じていることから推測がつくように、実は昨今のブルターニュでの運動は、経済的な動機を中心に、文化的アイデンティティの問題を織り交ぜつつ進められている。そして運動の核心は、現在はペイ・ドゥ・ラ・ロワール地域圏に属しているロワール・アトランティック県を、ブルターニュ地域圏に統合しようという点にある。
そもそもロワール・アトランティック県は、ブルターニュ文化の影響が強い土地であった。しかし1941年、ヴィシー政権のもとでロワール川沿いのアンジェ地域圏に入ったのを皮切りに、その後の地方制度改革によっても、常にロワール川流域という点に基礎をおく地域圏に属している。地域圏の規模をできるだけ均等にするために、歴史的・文化的にはやや無理のある区割りが強要されたとの見方もあるようだ。だからブルターニュ拡大運動は、失われた土地を取り戻すという大義も掲げているわけである。
現在の拡大運動で中心的役割を担うクリスチャン・ギュイユモ氏は、「ブルターニュが(現在の4県体制から)5県になることで、より多くの外国企業を引き付けることができ、また経済開発に必要な交通通信、教育研究などのインフラを充実させることも可能になるでしょう」と主張する。そしてブルターニュは、スペインのカタルーニャ地方やスコットランドのような新たな経済発展地域になり得るのだ、とその夢を語るのである。
ロワール・アトランティック県を統合することは、人口で国内第6位の都市ナントを手中にすることを意味する。従って1つの県の統合といえどその経済的影響は非常に大きく、地域圏の人口や生産額はそれぞれ約1.4倍に拡大する。ブルターニュをより売り込みやすくするという点では、ギュイユモ氏の主張はその通りだろう。
既にブルターニュ地域圏議会は、2004年以降2度も、ロワール・アトランティック県統合に関する決議を採択している。また政治・行政と別に経済界では、ナントなどの生産品も含めて「ブルターニュ産」のロゴを表示する動きを進めており、ブルターニュ生産品協会会員210社のうち20社がロワール・アトランティックの企業だという。実質的な統合を民間レベルで進めてしまうということであろう。
ただ、ナントをブルターニュに持っていかれてしまったら、ペイ・ドゥ・ラ・ロワール地域圏の地位が相対的に低下するのは自明。現にナント市長やペイ・ドゥ・ラ・ロワール地域圏議会議長はこうした動きに明確に反対しており、その立場からはブルターニュ側の動きがエゴイズムに見えても仕方ない。さらに現在ブルターニュ地域圏の中心であるレンヌ市の市長も拡大運動には慎重である。これはナントとレンヌの中心地争いが背景にあるものと考えられる。
従来型と現代の地域運動が混在するブルターニュ。その動向と行方は詳しく分析するに値するだろう。