ドトールのルーツはパリにあった

茶店やカフェは自分の好きな場所だから、これからも頻繁に取り上げることになるとは思うが、今日はなぜか日本のチェーン店の話。
日本経済新聞』の名物コラム「私の履歴書」、2月はドトールコーヒー名誉会長の鳥羽博道氏が登場していたが、その2月17日付けに、鳥羽氏が1970年代にフランスなど欧州各国を巡った視察旅行のことが詳しく書いてある。他の旅行参加者が朝食を取っている間にパリのホテルを抜け出し、シャンゼリゼを歩いて、サラリーマンが出入りするカフェにつられて入ってみた、そのときの様子。
「左のカウンターを二重三重に囲み、立ってコーヒーを飲んでいる。右のテーブル席には老人が一人。外のテラス席には誰もいない。」
「そのパリの店は、例えば立ち飲み50円、テーブル100円、テラス150円という具合に、価格を分けていることもわかった。心の中で『これだ!』と思った。喫茶業の最終形態は立ち飲みだ。日本の喫茶業の将来を予見できた。」
鳥羽氏のこの発見が、現在のドトール、さらにその他のチェーン店のようなカジュアルなカフェ業態を生み出したわけだ(アメリカやイタリアを発祥地と位置付けているチェーンも少なくないけれど)。そうと知ったら、近所のドトールで200円のコーヒーを啜りながら、パリ気分を空想で楽しんでしまうのも悪くはない。
しかし、実のところ鳥羽氏は重要なことを言い落としている(連載最終日まで確認したが出てこなかった)。それは、日本ではコーヒーの「立ち飲み」はそれほど一般的になったと言えず、まして立ち飲みとテーブルで価格を分けるという店舗戦略は全く導入されなかったという事実である。どこのドトールに行ってもほとんどの客は椅子に座っており、立ち飲みで出て行くのはよほどのせっかち者だけではないか。
私見では理由は二つ。一つは、ミニカップ入りの「エスプレッソ」(フランス語では「エキスプレス」)でなく、日本ではあくまで量の多い「ブレンド」が主流であり続けていること。もう一つは、近所づきあいのひとこまとしてコーヒーを「ひっかける」という文化が、日本にはついに成り立たなかったということだと思う。文化を移入するのは、業態を導入することよりはるかに難しいというわけか。