パリ外周道路上のトラム工事は前途多難

90年代、パリ旅行の際にふと思い立って、市域の外周を一回りするバスに乗ったことがある。観光地ばかりでないパリをバスの中から眺め、街の大きさを体験してみたいといった漠然とした理由だったが、乗り通したら数時間かかり、最後には少し腰が痛くなった。現在も同路線は健在だが、あまりに長過ぎて非効率だからか、区間ごとに3分割されている。
この外周道路は、地域によってそれぞれ第一帝政の元帥の名が冠され、総称「元帥大通り」と呼ばれている。そもそもはルイ・フィリップ期の1840年代に、砲撃戦への防御として築かれた延長約35キロの「ティエールの囲い」に起源を持ち、1920年に囲いが撤去された時に、その外部が現在の高速道路、内部がここで触れるブールヴァールになった。ちなみにパリ市域が、ティエールの囲いの内側にブーローニュの森、ヴァンセンヌの森を併せた現行の区域に定められたのは1860年である。(参考:宇田英男『誰がパリをつくったか』朝日選書、1994、pp.215-217. 日端康雄『都市計画の世界史』講談社現代新書、2008、pp.62-63.)。
最近、公共交通見直しの流れに乗って、この元帥大通り上にトラム(路面電車)を通そうという計画が持ち上がり、まず第一段階として2006年12月に、パリ南部の約8キロの区間でトラムが開通した。現在は、同路線をパリ西部に延伸すべく準備が進んでいる状況だが、5月4日付けの『ル・パリジャン』紙のパリ市域版は、3ヶ月前に開始された準備工事が、さっそく外周道路等に渋滞等を引き起こしている様子を伝えている(Travaux de tramway: ça coince déjà. Le Parisien - Le Journal de Paris. 2009.5.4, p.iii.)。
記事によれば、現段階の交通規制は、パリ13区のポルト・ディヴリと18区のポルト・ドゥ・ラ・シャペルの間14.5キロにつき、一部区間を除いて一車線を削減し、トラム路線下の配管(水道、電気など)整理を行うという内容。つまり本格工事のまだ手前にあるわけだが、いくつかの交通の要衝では既に混乱が深刻化している。
具体的に名前が挙がっているのは、まず12区のポルト・ドゥ・ベルシー付近。ストラスブール方面に向かう幹線高速道路A4に接続するインターチェンジだけあって、工事の影響で朝夕は交通がマヒ状態になると言う。パリ東駅から北西に向かうフランドル通りでは、ポルト・ドゥ・ラ・ヴィレットに進む一部区間が通行止めに。さらに19区のポルト・ドベルヴィリエでは、道路の一部閉鎖によって、左方向に曲がるのに右に進まなければならないという不自然な道路配置となり、立ち止まる車が続出、混乱が起こっている。
この問題が厳しいのは、準備段階で既にこれだけの困難が発生していることだろう。本格的な工事は来年1月から始まり、2012年末の開通(予定)まで続く予定というから、その際の道路交通問題の激しさは想像に余りある。パリ市役所のトラム工事事務局では、「我々は、路線拡大に関係する5つの区で同時に発生するであろう紛争の最前線に立つものであります」と、覚悟のほどを語っている。
ただ強いて言えば、この記事全体が自動車交通の利用者の目線で書かれており、トラム開通後の乗客の利便性との比較衡量という観点は全く取り上げられていない。さらに、2006年に開通している上記の既存路線の工事のときはどうだったのかとか、トラムをつくることで、自動車用の車線は恒常的に減少するのではないかといった点についての記述はない。このあたりは個人的にこれからも注目していきたいところ。まあ難しい話もともかく、パリに行ったら、このトラムにはぜひ乗ってみたいなあ。