域内留学制度、20年の成果と課題

6月6日の日記で名前を挙げた女優セシル・ドゥ・フランスは、セドリック・クラピッシュ監督の「スパニッシュ・アパートメント」(2002)で一躍名前を知られるようになったが、この映画は、EU諸国の交換留学制度である「エラスムス・プログラム」を素材としている。フランス、ドイツ、イギリス、デンマークなどから集まり、バルセロナで一つ屋根の下に暮らしつつ友情を育んでいく留学生たち。クラピッシュ監督は、総じてこのプログラムのありようを積極的に捉え、映し出していたように思える。
1987年に開始されて以来、既に20年以上の歴史を刻んでいるエラスムス・プログラム。6月2日付けの『ル・モンド』紙では、欧州議会選挙の実施を背景に、ヨーロッパ全域にわたる人物交流スキームの一つとしてこの制度を取り上げ、現状と評価を示している(En vingt ans, le programme d’echange Erasmus a créé un esprit européen. Le Monde, 2009.6.2, p.8.)。
同プログラムのもとで、学生たちは半年または1年の間、31か国(EU加盟の27か国及びアイスランドリヒテンシュタインノルウェー、トルコ)のいずれかの高等教育機関に留学する。これまでに170万人の学生がこの制度を利用しており、そのうちフランスからの留学者は22万人。2007年から2013年までの間で充当されている予算は31億ユーロにのぼる。
当然のことながら、EU担当者や本制度の関係者はその効果に関して一様に肯定的だ。欧州議会事務局で対フランス広報を行っているアンヌ・ヴァン・ゲメール氏は、「1980年代に、経済や農業レベルでの協力だけでは欧州圏内の市民意識は育たないということがわかってきて、エラスムス構想が立ち上がってきたのです」と説明する。確かに、経済面に限定した協力から政治領域も含めた市民統合へと進んできた欧州連合の展開に、教育の相互交流の発展は沿ったものと言えるだろう。
イタリア人の元留学生で、現在はある財団で政治研究に携わるサラ・ピニ氏は、「このプログラムの参加者は、何かとても強いもの(体験を通じて得られる感受性や連帯感といったものか)を共有し、またしばしば、かけがえのない人間関係を築くことになります」と経験に即して語る。現に、留学生やそのOB・OGの間では、「カフェ・バベル」という多言語サイトが運営されており、全欧州規模のコミュニケーションが活発に行われているのだという。「(20年の歴史を経て)エラスムス世代は各国の政治経済の枢要なポストに就きつつあります。(欧州市民という)オープンな意識をもった若きエリートたちが現れてきているのです」と述べるピニ氏の展望はとても明るい。
しかし一方で、懐疑的な見方もないではない。フランス国立科学研究センター(CNRS)にポスドク研究者として在籍し、エラスムス留学生の移動性について調査しているマガリ・バラトール氏は、欧州市民であるという意識は、主に各人のパーソナリティ、留学までの経歴、出身階層などに拠るところが大きく、エラスムス・プログラムで留学したという事実にはそれほど関わらないのではと考えている。「学生たちは受入国に関するステロタイプを持っているものですが、それを持ったまま留学を終えてしまうことが意外に多いのです。また、受入国の学生や他国からの留学生と交流することで、かえって自国民意識を強めてしまうこともあるようです」ともバラトール氏は説明する。
単に人数だけの問題に帰するべきではないだろう(エラスムスの出身者が政財界で活躍することの可能性は大きいだろう)けれど、欧州諸国間を移住する、あるいは域外から流入してくる膨大な移民たちの方が、相対的にはほんの一握りの留学生よりも、欧州市民意識の未来に影響を与えるのではないかとの指摘は鋭い。要はEUにおいて、過大でも過小でもなく、エラスムスという一つのプロジェクトの成果を測っていくことに尽きるのだろうと思う。