『パリ医学散歩』

岩田誠『パリ医学散歩』(岩波書店、1991)読了。神経内科医として日本の先端を行く(本書刊行当時は東京大学医学部助教授、その後東京女子医科大学医学部長等を歴任)岩田氏が、1500年ほどにも及ぶフランス医学発展の歴史を、留学先であるパリの街並みのなかにたずね歩いた書である。
古いところでは、西暦650年のオテル・ディユー病院設立、また1270年のパリ大学医学部成立などに言及。そして本書の主な記述は、内科学と外科学を統一的に教授する新しい医学教育制度が確立した19世紀以後に置かれている。なかでも、岩田氏の専門分野である神経内科学に関しては、シァルコーとヴェルピアンによる多発性硬化症パーキンソン病の臨床像の確立、パリ大学医学部における神経学講座の設置などについて詳しく書かれており、行間にも「神経学の都」としてのパリに対する著者の親しみが感じられる。
フランスの医学研究者として最も有名と思われるパストゥールにも触れてはいるが、著者が詳述するのは、醗酵に関する研究やワクチンの開発といった業績ではなく、学生時代に行った酒石酸の光学異性体に関する発見のエピソードである。友人シャピュイや当時の結晶学の権威ビオーとの(実際にされたであろうような)会話なども織り交ぜつつ、結晶の分析に夢中で取り組む若きパストゥールを描き出す筆致は実にいきいきとしている。
さらに、クリュニー館そばに置かれているモンテーニュの座像は、神経学的には最も悪い姿勢の典型(19頁)との著者の指摘はユーモラスですらある。著名人が招待されるシァルコー教授の晩餐会において、教授が提供する話題は実に興味深いものであったというが、仮に岩田教授の晩餐会なるものがあったなら、そこでの話題は森羅万象に及び、かつ実に軽妙洒脱に展開されるのではないだろうか。医学の分野に無知な自分にとって、新たなパリ像を与えられたような気がした。
蛇足を一つ。著者はパリ市内の多くの通りの名前を、意味的に和訳した形で示している。尼僧会員通り(Rue Chanoinesse)、麦藁通り(Rue du Fouarre)、四つ風通り(Rue des Quatre-vents)といった呼び方はある意味ユニーク。今だったら、シャノワネス通りなどの名を使うことがほとんどではないかと思う。