ゆううつな秋をいかに過ごすか

スポーツ、行楽、食欲……、さわやかなイメージが強い日本と違って、南部を除くヨーロッパ地域では、秋は憂鬱な季節と捉えられることが一般的だ。どんよりとした天気が続き、気温は急に下がってくる。日が短くなるのも速く、夏時間が終了することも相まって特に日暮れが早いという印象が深い。なんでもこの季節には、心理的な不調を訴える人々も急に増えるのだとか。月刊女性誌『マリー・フランス』11月号では、心理学的な知見を用いて、憂鬱な秋を少しでも明るく過ごすためのノウハウを記している(Un automne 100% vitalité. Marie France, 2009.11, pp.66-70.)。
◇これまでの経験を振り返る
例えば秋の夜長、じっくり腰を据えて、今年あった出来事、してきた体験を振り返ってみてはどうか。雨降る日曜日、ただひたすら郷愁の念に耽ったり、過去のつらさ悲しさを繰り返し募らせるというのではなく、あくまで客観的に、そして「前向きに」、これまでの出来事が自分の人生にどのような意味を持つのかを考えるのが大事。作物や果物を収穫するように、これまでの日々の経験が実る季節として秋を捉えれば、次の春を目指して確かなスタートが切れるはず。
◇感性を研ぎ澄ます
木々が葉を落とすように、心の重荷を振りほどいてみる。窮屈な自制心をひとときでも解き放つことで、無用な緊張を逃れ、また罪責感や悔恨の気持ちを軽くすることができるかもしれない。まずは深呼吸をし、ゆっくり歩きながら、今、ここにいる自分に心を集中させてみる。最初は努力がいるかもしれないが、慣れれば季節の風景が鮮やかに目に飛び込んでくるのではないだろうか。そして、心のなかに穏やかな感情が次第に広がってくるだろう。
◇身の回りの整理をしてみる
干し草を刈り取る農家の人々を見習って、部屋の片付けをするのもよいだろう。いらないものを手放すことで、身の回りの空間、さらに自分自身が軽やかになる。そしてそのこと自体が一種のセラピーとなり得る。ではその軽やかさで、次は何を始めよう?「絵を描くこと、文章を書くこと、ダンス、庭仕事などは、自分の心のありかを探り、それを表現する方法として優れています」と、精神分析医であるカロリーヌ・ロゼン−モンテ氏は説明している。
◇想い出を取り出す機会にする
11月初頭のいわゆる「秋休み」は、本来は万聖節、つまり亡くなった人たちに思いをいたす祝日に伴う休暇である。最近は休みの本義がすたれ気味ではあるが、改めてお墓に花を供え、ろうそくに火をともすという儀礼を見直してはどうか。いずれはかなき人生と知る(和風の言い回しだが、メメント・モリということですね)ことが、生き方を豊かにすることにつながるという逆説。自分の祖先たち、かつて愛した人々の想い出をよみがえらせる機会として、秋を捉え直すこともまた有意義だろう。
◇家族を大事にする
夜の長い秋は家族だんらんのためにも絶好のシーズン。暖炉の火を囲んで語らいの時を過ごしたり、昼間は皆で森を散策して落ち葉を拾ったりきのこ狩りなどすることができれば、憂鬱な気分もずいぶん晴れるのではないか。「秋は新学年開始直後で、成績に関する圧迫感が少ないので、お互い信頼を持ったなごやかな親子関係が築けると思います(だから心理的にも大いに有益でしょう)」というのは別の精神分析医の見解だが、ここまで行くと少し穿った見方という気も。
以上、ふむふむなるほど、と納得したいところだが、結局は気持ちの持ちようというのに近い感じで、これを読んだ人に何かの効果があるかちょっと疑問。それに、秋という季節にこじつけたような内容もないわけではない。ただ「心の平安にはまず片付けから」というお諭しについては、個人的にちょっと身につまされてしまいました、はい。