「カンヌらしい名物」はいずこに

国際映画祭が終わって落ち着きを取り戻しつつも、リゾート地らしい賑わいが続くカンヌ。ところがここでは、映画祭を除くと周りのリゾートに比べて街としての「売り」がないことが、観光業界の大きな悩みらしい。ニースと言えばサラダやオリーブオイル、マントンならレモン、グラースなら香水といった類の、いかにも御当地らしい決め手を欠いているというのだ。5月15、16日付の『ル・フィガロ』紙は、カンヌのセールスポイントは何か、街の表情を伝えつつ改めて探ろうとしている(A Cannes, toutes les saveurs du monde. Le Figaro, 2010.5.15-16, p.32.)。
なんでも10年前には、市役所が中心になり、カンヌ料理を開拓するコンテストが開かれたと言う。多くのレストランやビストロの料理人が頼みこまれて参加し、最終的に、中央駅近くの高級ホテルグレイ・ダルビオンの料理長が用意した「オリーブオイルを用いた鯛のロースト」が優勝した。しかしこのメニューを取り入れるレストランはほとんどなく、名物料理づくりはあっさり失敗に終わってしまったのである。
本当にカンヌには、世界に誇れる地元らしさというものが何もないのか?フォルヴィル市場で出会った82歳、歴史通のソランジュさんは、「カンヌがリゾート地になれたのはブイヤベースのおかげだよ」と断言する。1830年にイギリスのブルハム卿がここに宿泊したのがリゾート地としての出発点だが、当時あったペンシナという宿屋が供したブイヤベースが彼のお気に召したことが長期滞在につながったのだという説だ。世界的リゾートであるカンヌのルーツはブイヤベースにあり、ということか?
そう言えば、このフォルヴィル市場も、ニース旧市街のサルヤ通りに立つ市などと比べて質が高いと評価されている。近隣農村で獲れた新鮮な野菜、地場の魚などを扱う小さな店舗が軒を連ねる路地をそぞろ歩き、疲れたらロゼワインなどひっかけてみるのも、日曜朝の過ごし方としてはおつなもの。
浜辺に出ればレストランが並んでいるが、これもニースとは異なる特徴(ニースの有名なプロムナード・デザングレの浜側に店舗はないはず)。初めて海岸沿いに高級ホテルができた頃は、スナックの提供やビュッフェ形式がせいぜいだったが、国際音楽産業見本市(MIDEM)といった大規模な国際会議や見本市が開催されるようになってから、ホテルのダイニングや数々のレストランが、砂浜に置かれたテーブルに本格的なコース料理などを出すようになった。観光客の混雑を避けたいなら、数少ないけれど朝食も出している店を探し、波の音を聞きながらモーニングコーヒーを楽しむのがおすすめとか。
一方、夜になれば楽しみはアルコール。カンヌ沖サントノラ島の修道院でつくられる白ワインはまさに地場産。浜辺からちょっと市街に入ったコマンダン・アンドレ通り周辺は一種の歓楽街で、ラウンジバーでシャンパンやモヒートを楽しむ若者が周辺の地域からも集まり、遅い時間まで賑やか。
…というように、記事にはカンヌ名物らしきものがいろいろ並べられているが、ちょっと考えてみると、ブイヤベースの本場はもちろんマルセイユだし、市場も浜辺のレストランも、ニースと比べてどうのこうのというレベルで、真にカンヌのオリジナルと言えるものはない。いみじくもバーでモヒートをたしなんでいた地元の若い女性がこうつぶやいたそうだ。「街そのものがコスモポリタンであること、それがカンヌのアイデンティティなのよ」。要は、これといった特別な「売り」はなくても(映画祭の存在そのものが相当のセールスポイント、というのは別にして)、環境が良くていつでも楽しく過ごせる、カンヌはそれでいいじゃないかというのが、行きつく結論ということになるのかも。