「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」

渋谷でドキュメンタリー映画ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」を見る。土曜日の夕方、60数名の小さなシアターはほぼ満席。もう少しキャパシティに余裕のある劇場なら楽だろうとは思うが、さしあたりオランダ発の一見地味な映画で席がいっぱいになっているということを1観客としては喜ぶべきなのだろう。
タイトルからは、2003年に本邦公開された「パリ・ルーヴル美術館の秘密」のオランダ版のような内容構成が連想されるかもしれない。確かに、美術館で働く様々な職種の人々の仕事ぶりをとらえ、普段は見られない舞台裏に迫るという要素での共通点も多少はある。しかし「パリ・ルーヴル…」が、普通に開館している巨大美術館がどのように(まずまず順調に)運営されているかを描いているのに対し、「ようこそ、アムス…」には大きな違いが2つある。一つは、その巨大美術館が改築のため閉館中であること。もう一つは、改築過程が全く順調ではなく、映画は何度も暗礁に乗り上げるミュージアムの混乱ぶりをそのまま映し出す結果になっていること。
レンブラントの「夜警」やフェルメールの諸作品など、オランダ美術をはじめ諸分野の名作を所蔵するアムステルダム国立美術館が、改築を目的に全面閉館したのが2003年(ごく一部の著名な作品のみ、隣接の建物で展示を継続)。その時点では改築は4年ほどで終わり、2008年にはリニューアルオープンするはずだった。ところが、美術館の中央を南北に貫通する自由通路を掘り下げて、美術館のエントランスに変更するという、スペインの建築家による改築案に、サイクリスト協会の人々が猛反対。これまで市の南北を結ぶ主要な自転車道をなしていた中央通路がなくなることは断じて許さないとの論陣を張り、美術館側は自由通路を充分確保できるよう、エントランス設計の抜本的な変更に追い込まれる。この時点で再開館の時期は2009年へと延期。
さらに、新規に建設される研究施設のデザインが、当初小型タワー状の形態をしていたものの、市当局などの高さ制限を通らず、数度の設計変更の後で普通の建物の高さまで切り下げられてしまう。このころには旧美術館の解体は完了しており、本来であれば展示室の内部デザインや陳列作品などに検討内容が移っていなければならなかったのだが、建設計画の確定に向けた道のりが遅々として進まない中で、次の仕事に踏み出せない美術館職員のモチベーションは明らかに低下し、建築家も自分たちの意向が著しく妨げられる状況に、あからさまな不満を漏らすようになる。
いよいよ建設計画が固まり、各方面の理解も得られた段階で、建築工事に向けた入札が実施される。ところが当初は2社あった応札希望業者のうち1社が脱落。残った企業は予算額の1.8倍もの金額で応札しようとし、事態は再び紛糾。関係者が国会で議員の追及を受けるほどの「不祥事」となって、入札は結局不調に終わる。その後仕様の組み換えなどがあったからか、新たな入札はなんとか無事に進行して建設業者が決定したが、ここまでの積み重なるタイムロスがたたって、結局新美術館ができあがるのは2013年にまで遅延してしまった。10年もの間、オランダ随一の美術館がその門を閉じたままということに。なんという混迷ぶり!
プログラムに収載されているウケ・ホーヘンダイク監督の談によれば、アムステルダム国立美術館の改築過程の撮影に着手したときには、とてもこのような事態に陥るとは思っておらず、再開館で大団円となる構想だったという。あまりの状況の混乱ぶりに当初の計画を変更し、リニューアルの道半ばでいったん映画を閉じ、この間様々な人々がどのように考え、行動し、その結果一つの美術館の運命がどのように揺れ動いていったかをメインに描き出すことに。ある意味「無様な」映画となってしまったわけだが、それもまた真実を映していることには違いない。歴史ある大美術館を建て替えるというプロセスに、どれだけの人々がかかわり、どれだけの思いが交錯しているか、それゆえ余程の運営能力がなければ、その過程を乗り切ることがいかに難しいかを如実に表すことになったという点で、大変興味深い内容の映画になったのではないかと思う。
この映画を基にして客観的に事態を見ると、いかに改築が大変な作業だからといって、もう少し関係者同士のコンセンサス形成を密にし、例えばサイクリストとの協議は早い段階で積極的に進めておくなど、課題を一歩ずつクリアしていくようにすれば、ずっと後で話が根本的に紛糾するといった失態は生じないはず。これについて、長坂寿久氏(拓殖大学教授、元・ジェトロアムステルダム事務所長)はプログラム中の寄稿で、オランダではプロジェクトマネジメントに関する能力が劣化している、かつて利害調整の巧みさで名をはせた「オランダモデル」の時代はとうに過ぎ、最近は現場を知らず机上の理論だけを身に付けたプロマネの専門家が席巻するようになった結果、空論ばかりで前に進まないといったプロジェクトが頻出するのではないかといったオランダ国内の議論を紹介している。なかなか興味深い視点であるように思われる。
ここでごく個人的な仮説を一つ。パリの都市計画の根底に、ルーヴル宮からシャンゼリゼ方向に伸びる「都市軸」という考え方があることはよく知られている(例えば、松葉一清『パリの奇跡』講談社現代新書、1990年、32〜45頁を参照)。アムステルダムは17世紀を中心に、半円型の運河を次々と外延に増やす形で発展した都市であるので、都市軸という考え方は基本的には採用されないのだが、実は現代においては、国立美術館の中央通路から公園を抜けてコンセルトヘボウ・コンサートホールに通じる直線が、アムステルダムの「隠れた都市軸」の一部として機能しているのではないか。美術館からコンセルトヘボウと反対側に線を伸ばすと、道こそ貫通していないものの、現在の都市核たるアムステルダム中央駅、そして北海運河に至るのである。そして、そうした「隠れた都市軸」の一部として市民の深層で受け止められていたからこそ、かの美術館の中央通路の処遇が(外見上はサイクリストの抵抗運動という形で)これほどの争点になり、政治問題と化したのではないだろうか。
少し大上段に構えた切り口に特化してしまったが、この映画の楽しみはもちろんそういった見方にとどまらない。各部門の学芸員、修復家から警備員まで、様々な美術館関係者の美術館に対する思いが、多くの断片の形をとって映画の中にちりばめられている。こうした人々の影の努力が積み重なって、2013年(本当か?!)の再オープン時に、かつてよりもっと素晴らしい国立美術館が生まれますよう。そして、本作の続編も新装開館時にお目見えする(これまた本当か?!)そうなので、その続編の中でまた彼らに出会えることを心から祈りたい。