OECD学力調査への各国の反応(1)

3年に1回実施され、その結果に世界各国が一喜一憂するOECDの学力到達度調査(PISA)。今回、日本においては、学力回復の兆しが見えたと比較的芳しく受け止める見方が強かったが、さて他国の状況はどうか。12月8日付『ル・フィガロ』紙は、調査結果全体を報道すると共に、フランスの成績をかなり悲観的な観点から分析している(Résultats scolaires: l’Europe de plus en plus distancée par l’Asie. Le Figaro, 2010.12.8, p.11.)。
65か国の47万人を対象に実施された今回調査の結果、初参加した上海が総合1位に輝いたのを始め、韓国、シンガポール、香港などが上位につけ、日本もまずまず順位を回復したということは、わが国の報道(例:『読売新聞』『日本経済新聞』12月8日)でもほぼ知られているところだろう。『ル・フィガロ』紙はこのあたりをまず、ヨーロッパ勢が新興アジア諸国に追い越されたという構図でとらえる。例えばフィンランドがこれまでの首位近辺から若干ランクを落としたことについては「同国の成績が悪くなったというよりも、ランキングに新たに登場した国がより上位につけたから」と説明している。そして同時に注目するのは、ヨーロッパ内で今回生じた格差。スウェーデンアイルランドは順位を下げ、対してイタリア、ドイツ、ポルトガルは以前より好成績を残している。OECDの担当局次長であるベルナール・ウゴニエ氏は、「ドイツでは(前回の調査以降)、教師の採用や評価に当たっての要件を増やし、各教育施設の長にかなりの自主的権限を付与すると共に、学習に困難を生じている生徒に対する支援を拡大してきました」と、順位アップの原因と見られる点を説明している。
当のフランスの結果は「中ぐらい」。これまでと変わらずか、やや後退といった感じ。重大視されているのは、好スコアを残したエリートが若干増えている一方で、点が取れていない生徒が確実に増加し、結果として生徒間の学力格差の激化が判明したこと。全体としては同じ「中ぐらい」でも、エリートと劣等生の差が少ないデンマークなどとは大きな違いとなっている。
フランスにおいて特に深刻なのは、この20年来、「どの生徒も好成績を残せる」ことを目標に各種の改革が行われたはずであるにもかかわらず、学業成績をめぐる不平等は逆に拡大傾向になっていること。その場その場の「改革」に大した効果も与えないほど、教育システムにおけるエリート主義に根深いものがあるということか。特に、移民の第二世代のスコアがいっこうに向上しないことは、ドイツやイギリスと並んで、この国の社会統合の行方にますます暗い影を投げかけている(一方でイタリア、スペイン、ポルトガルなどでは同じ層の成績改善が見られるという)。2000年実施の第1回PISA調査に対する「OECD調査における評価の仕方はフランスの教育システムに適合しない、だからこの調査結果は間違い」といった極端に否定的な反応が今では鳴りを潜めているだけに、もはや調査の権威、そこに現れた自国の教育システムの問題性を無視できないという難しい状況に立たされていると言えるのかもしれない。
なお『ル・フィガロ』紙には、上位国の事例として韓国の実情に関するコラム的な記事も掲載されている。彼の地では生徒の平均学習時間は毎週50時間にも及び、朝は8時にスタート、昼食と夕食を挟んで授業と補習が続き、午後9時半から真夜中までは塾での模擬試験が待っているという具合。良い成績を取ることが社会的成功への道と信じる親たちの圧力を受け、どこかの国で数十年前に存在したと言われる以上の詰め込み型教育が熾烈を極めているという。まあ、記事の論調は多分に皮肉めいたもので、フランスが韓国スタイルを学ぶべしという趣旨では決してないが、そのくらいスパルタしないと学力は上がらないという印象を読者に与えるとすれば、教育について必要以上に不明確なイメージが生じることになりはしないか。