「哲学する幼稚園児」めぐって議論

フランスでは哲学がリセ(高等学校)の最終学年で教えられており、バカロレア(大学入学資格試験)の出題科目となっていることは比較的よく知られているだろう。哲学が中等教育でそれだけの地位を占めているというだけで、日本から見ればかなりの驚きなのだが、現在ではなんと、幼稚園で哲学のワークショップを実施するという試みさえ実施されているのだという。12月27日付『ル・パリジャン』紙は、そうした取組みの実情と、それをめぐる賛否両論を伝えている(En maternelle et déjà philosophes. Le Parisien, 2010.12.27, p.9.)。
幼稚園で「哲学している」のは、パリの南東約40キロにあるメー−シュル−セーヌ市のジャック−プレヴェール幼稚園。この幼稚園のパスカリーヌ先生(なんとなく哲学向きの名前)は、2007年から園児と共に、愛、死、自由、差異、知性といった哲学的概念について考え、それをことばにするというワークショップを続けてきている。リセでの哲学の授業は、主要な哲学者の著作を通じて諸概念を学ぶことが中心になるので、それとはずいぶん様子は異なる(だいたい、幼稚園児にヘーゲルなんかわかりっこないだろう)のだが、哲学的に物事を考える体験をするという点では共通の要素もあるだろう。こうした試みに興味を持った映画監督のピエール・ポッジ氏とピエール・バルージエ氏が2年間にわたってクラスの様子を撮影してまとめたドキュメンタリー「ほんのはじめて」が、11月17日にフランス全土で公開されたことで、パスカリーヌ先生と園児たちは俄然注目を浴びるようになり、また「幼稚園で哲学を扱うこと」はよいことなのか、いろいろと取りざたされるようになった。
哲学者ラファエル・エントーヴェン氏は、「哲学するには、成熟していることが必要なのではなく、むしろ純真さこそが必要なのだということが再発見された」と、ジャック−プレヴェール幼稚園での取組みを絶賛。日々の暮らしを取り巻く哲学的諸概念について話したり、人の話を聞いたりするという実践は、幼稚園からでも全然早過ぎることはないと主張する。一方で言語学者のアラン・ベントリーラ氏は、幼稚園ではまずもってことばを習得すること、そこで個人間の格差をつくらないことが重要であり、哲学に触れることについて全否定まではしないものの、優先度の高い課題とはとても思えないという立場だ。
映画の中で、園児の一人イアニスは、「たましいって、おなかからとびだし、しんだときにはおそらにいくもの。そのときにはどんなことでもわかるようになるの」と話しているという。幼稚園での哲学の実践を一般化するのはやはりちょっと難しそうだが、やり方次第では子どもたちのこころを上手に育む一つの手段になるかもしれない。もっとも、エントーヴェン氏も指摘しているように、幼稚園のワークショップでの経験がいったん切れてしまい、あとはリセの最終学年まで哲学に親しむ機会がないというのは勿体ないし、せっかくのワークショップの意味が減殺されてしまうような気もする。教育課程全体を通じて連続的に哲学との関わりができればもっとよいのかもしれない。