右派文化人、メディアに席巻?

日本のテレビで討論というかトークショーというか、まあ「朝まで生テレビ!」あたりが典型なのだろうが、いろいろな立場の文化人やタレントを集めて議論させる番組(多少娯楽色が強いものも含む)が定着して久しい。フランスでも事情は似たようなものらしく、こちらはアメリカの影響を受けているのかも知れないけれど、ローラン・ルキエ氏やティエリ・アルディソン氏らの司会でがやがやと議論を交わすプログラムは長く続いているし、文化人たちが時事・社会問題について語る論説番組の人気も高い。そんな中、4月5日付『ル・モンド』紙は、近年いわゆる右派の人々が、こうした番組で俄然台頭してきているという内容の記事を掲載している(Profession: réactionnaire. Le Monde, 2011.4.5, p.3.)。いったいどんな状況なのだろう?
記事が伝えるところによれば、注目される右派文化人は数こそ大したものではないが、それぞれ多くのメディアに露出し、また同じ番組で共通の論陣を張ったりするために、存在感が増幅するのだという。彼らがほぼ一致して主張するのは、フランス国内の移民やイスラムに対する批判、そして学校制度の危機。また、マリーヌ・ルペン女史率いる国民戦線(FN)の考え方を相応に支持し、FNを排除すべき異端としてではなく、普通の政党とみなすべきであるとする点でも、論調はほぼ共通していると言える。
この種の文化人の筆頭格は、邦訳書も出ている(『女になりたがる男たち』新潮新書)エリック・ゼムール氏とされる。52歳の彼は、『ル・フィガロ』紙で評論等を執筆していたが、アルディソン氏に見出されてテレビ界に進出。現在はルキエ氏司会のトークショー「まだ眠れない」(フランス2、TV5でも放送中)のコメンテーター陣で中心的存在になっている他、ラジオ局RTLでも論説番組を持っている。彼の近年の主張の一つは、1947年にドゴールが設立し、右派の幅広い層の人々を結集したと言われるフランス人民連合(RPF)に、さらに当時で言う対独協力者も加えたような(つまり極右的潮流も糾合したような)大規模政治勢力を今の時代に打ち立てたいというもの。彼の発言はしばしば過激を極め、移民差別的な発言に関しては、訴追の結果執行猶予付きの罰金刑を受けたりもしているが、もちろんその思想を修正する様子などはみじんもない。
その他、『ル・モンド』紙が紹介する右寄り論者は、昨年刊行の著書『反動家の頭の中』が注目され、テレビ局RMCトークショーに抜擢されたエリック・ブリュネ氏、『ル・フィガロ』紙での激烈な移民政策批判で知られるイヴァン・リウフォル氏、かつて「国境なき記者団」で活躍、現在は表現の自由原則を楯にFNを擁護したり、死刑復活を主張しているロベール・メナール氏、左翼共和派から「転向」しRTLでの論説などで活躍、「メディアが一般大衆に接近したいと考えた時、彼らは我々に接触してきました。そしてそのうちに、(我々のような右翼的な)視点を番組に取り入れないと、視聴者の一部を失うということに気付いたのです」と宣言するエリザベート・レヴィ氏。ゼムール氏を含めた5人衆のうち、女性はレヴィ氏の1名、全員が40代か50代という意気盛んな面々だ。
実のところ5人の主張は、全体的な傾向はともかく個々の論点については意外に異なっている。ブリュネ氏が経済的リベラリズムアメリカ的な市場中心主義と言ってよいだろう)を信奉するのに対し、他の論者はこれに反対。メナール氏は欧州至上主義者と公言するが、ゼムール氏とリウフォル氏は伝統的な主権国家重視。さらに、ゼムール氏が邦訳書に見られるように著しく反フェミニズム的であることに対して、レヴィ氏は女性として冷ややかな視線を向ける、という具合。しかし、5人一様に保たれているのが現代政治の底流をなす移民問題に対する否定的な態度であり、その点でFNと通底する意見を主張しているということで、来年の大統領選の行方なども含め、今後の政界、また政治に対する世論に与える影響が全体として大きいとみなされるのだろう。
ル・モンド』紙は「数年前だったら、彼らの発言の4分の1は極めて物議を醸していたはず」との見解を示し、RTL報道部長ジャック・エスヌウ氏の「ゼムール氏の論説番組は、6カ月で4ポイントも聴取率を伸ばしました」という喜びの声を、懐疑的かつ空しげなトーンで伝えている。もちろん同紙の編集スタンスからすれば、右派文化人の「偏見に満ちた」主張は納得のいかないものだろう。しかし、このまま行けばFNが来年の大統領選で大いに善戦するという政治状況が生じているのも事実。そのことは充分冷静かつ正確に把握しておくべきだろうし、また個人的には上記のような5人衆内部の意見の相違、それがフランスの政治地図の中でどういう意味を持つのかといった点についても、これからもっと関心をもっていくべきなのではないかと感じている。