「イヴ・サンローラン」

最近当ブログで取り上げた(2011年5月7日)井上隆一郎『パリのファッション・ビジネス』で、イヴ・サンローランは、1950年代後半にディオール店の新進クチュリエとして世に出てやがて独立、プレタポルテに進出しつつアクセサリー・靴などのデザインにも手を染め、全世界で展開した自前のブティック・チェーンを舞台に「トータル・ファッション」を追求した人物であると説明されている。「1960年、彼は義務兵役につき、ディオール店をしばらく離れることになった。(…)病気のため1年で除隊になったサンローランは、ディオール店の状況をみて、協力者ピエール・ベルジェと相談のうえ独立の意志を固め、1961年末、ブーローニュの森に近い住宅街のスポンティニ通りに小さな店を構えた。」「サンローランのビジネス面での成功には、協力者ベルジェの果たした役割が大きい」。
午後、有楽町で映画「イヴ・サンローラン」を見る。写真家ピエール・トレトン氏が監督を務め、井上氏が慎ましく「協力者」と表現したピエール・ベルジェが、「公私を通じたパートナー」として語り続けるドキュメンタリー映画。パンフレットでも言及されているように、サンローランのモードの部分よりも人物そのものにフォーカスした構成になっている。
観終わってまず、「説明的な映画」だなと思う。冒頭部分は、2002年1月22日、サンローラン自身による引退宣言の記者会見。映画全体も「映像をして語らせる」という部分もあれど、圧倒的にベルジェ氏の語りとインタビュー、また代表的モデルであるルル・ドゥ・ラ・ファレーズ、ベティ・カトルーらへのインタビューによって構成されている。しかも、彼らが高齢であるせいもあってか、一様に語りがゆっくりしており、その内容が観客によく伝わるようになっている(学習者である日本人の立場からすれば、分かりやすいフランス語だということも言える)。
映画はサンローランのデビューから引退までのクロノロジカルな道程を縦糸、2008年の彼の死後、ベルジェ氏が彼と共に築いたアートのコレクションを競売に付すまでの同時代的記録を横糸にしつつ展開される。クロノジカルな部分はトレトン監督のチームが集めた写真や映像を使って構成されているが、なにせ1950年代からの話であるから、素材の収集にはかなりの苦労もあったのではないか。一方、競売に至るまでのベルジェ氏を追う部分は、パートナーの死を受け止めていく過程を、その言動や表情から捉える形にも結果的になっており、そのことによって映画の縦糸と横糸が絡み、交錯する効果が生み出されているように思われる。
ベルジェ氏の語りはほとんどが明快で、サンローランとのパートナーシップがいかなる姿のものであり、彼がサンローランとどのように50年余を共に生きてきたかを淡々と語る形になっている。ただ一方で、ところどころではあるが、ちょっとした、しかし重みのある内省的な言葉をつぶやくベルジェ氏。今回のパンフレットには「シナリオ採録」といったものはついていないので、具体的にどのような言葉だったかは思い出せないが、そういった言葉の裏に隠れた心模様を探ることができれば、彼の真情にさらに迫ることができるのかもしれない。最近出版され、邦訳もされている『イヴ・サンローランへの手紙』という著書を読むと、そのあたりもだいぶ明らかになるのだろう。
この映画で、イヴ・サンローランは1990年頃、長年のアルコールやドラッグへの依存から脱却し、復活を果たしたと説明されている。ただ一方で、ベルジェ氏によれば、1990年代以降モードの世界は商売人の領域に屈してしまい、オートクチュールがのびのびとそのアートを披露する環境は失われたとも言われる。引退する2002年までの約10年間、サンローランがどのような想いでモードに取り組んだのか、また引退の背景について(年を取ったことや、クリエイティブであり続けることの困難は当然として)、映画では必ずしも語られていない部分であるだけにちょっと気になったところではある。
なおこの映画では、通奏低音のように流れてくる音楽が印象的だったように思う。コム・アギアルによるオリジナルのようだが、サントラなど発売されればよいのではないだろうか。