あの人はいま−前外相の場合

チュニジアから始まった「アラブの春」は、ついにリビアカダフィ大佐死亡、同政権の終焉にまで行き着いたわけだが、フランス政界でこの潮流のあおりを食って(?!)辞任に追い込まれたのがミシェル・アリオ−マリ前外相。サルコジ政権の対アラブ政策にドタバタ要素を付け加えることにもなったが、政権を去った当の前外相は、今どんな日々を過ごしているのか。10月4日付のフリーペーパー『ヴァン・ミニュート』紙はアリオ−マリ氏に直接インタビューし、現在の仕事や心境などを訊ねている(≪Des erreurs de com≫. 20 Minutes, 2011.10.4, p.10.)。
ジャスミン革命の火が既に上がっていた昨年12月末、アリオ−マリ氏はパートナーであるパトリック・オリエ議会関係担当相と共にチュニジアに休暇滞在。ベン・アリ前大統領側近の実業家、アジス・ミレド氏の自家用機に便乗しての訪問であり、しかも滞在中には、ミレド氏所有企業の株式購入署名を行ったという。こうした一連の行為が、ベン・アリ氏の亡命に至ったチュニジア情勢にかんがみると、外務大臣としては(少なくとも結果的に)著しく不適切であるとみなされた。しかも彼女が、自らの行動について明快さを欠いた弁明を繰り返したことから、ことはサルコジ政権のアラブ民主化運動に対する態度如何の問題に発展してしまった。まあ多分に間合いが悪かったと同情の余地もないわけではないが、結局アリオ−マリ外相は、当然のように2月末、そのポストを追われることとなった(『OVNI』2011年3月15日号の記事等を参考)。
共和国連合(RPR)総裁から、防衛相、内相、法相、そして外相と、10年以上も政治の第一線に立ち続けてきた彼女にとって、極めて大きな挫折。現在は国民運動連合(UMP)の党評議会副議長という肩書こそ有しているものの、実質的には社会における「孤独」の問題を検討する党内会議のオーガナイズが主要な職務となっている。記者からの「(晴れ舞台からほど遠い仕事を振り当てられて)他人から冷ややかな目で見られたりしませんか?」という質問に、それでも前外相は、「全然気になりません」と力強く答える。そして、「お年寄り、若者、障害者、母子家庭の母親など、多くのフランス人が抱えているであろう孤独感について、これまで(党内会議といった)高いレベルできちんと論じられていませんし、どの政党も取り上げてきませんでした」と、問題の重要性を強調するとともに、それを政治の世界で真剣に論じることの意義を他人に、そして自分にも納得させようとしているように思える。
一方、チュニジア問題で辞職させられたことについては、「現代の情報、そしてコミュニケーションについて考えさせられました」と述懐。縷々弁明したことに関連して「私は確かにコミュニケーションに関する過ちを犯しました」と認めつつも、「ジャーナリズムの原則の一つは、情報を確認するということです」、「私の経験したことは、この問題(SMSやツイッターの情報が溢れる時代に、ジャーナリズムはいかにその正確さを確保すべきかという問題)を分析する上で一つの素材となるでしょう」と述べて、自分はマスコミの報道ぶりに振り回されたという気持ちを言外に滲ませている。もっとも逆に言えば、当時の自分の言動に対して、いまいち反省が足りていないのではないかという評価も可能ではあろうけれど。
政権を離れた後、2か月間は家族や友人と共に過ごし、また自分自身を見つめ直すための時間を得たと語るアリオ−マリ氏。重要閣僚として緊張を強いられる毎日だったであろうから、これは(本意ではなかったにせよ)当人にとってもよい休息になったのではないか。そして今後は、来年の大統領選挙に向けて、サルコジ氏再選に向けた運動に邁進するとも語っている。政治家人生に大きな汚点が残ってしまったのは確かだが、それをはねのけ、いつの日か第一線に復活してくることがあるだろうか。