テレワークの進展は明るい未来か

通常の会社のようなところの外、主として自宅やそれに類する場所で勤務する労働形態「テレワーク」。日本では「在宅勤務」とも言われ、一時的に多少の脚光は浴びたのかもしれないが、最近では(少なくとも自分の感じでは)実態も議論もそれほど進展しているとは思えない。一方フランスでは、他のヨーロッパ諸国に比べてテレワークの普及率はかなり低いながらも、政府はこうした働き方の推進を引き続き有望な施策とみなし注目しているという。11月15日付の無料紙『メトロ』は、特集としてこの問題を取り上げ、その展望及び問題点を検討している(Travailler chez soi ne va pas encore de soi. Metro, 2011.11.15, pp.4-5.)。
ヨーロッパでは全般的に、テレワークが経済成長に貢献し、かつ個人の生活を豊かにもする将来性を持った雇用形態ととらえられていると言える。部分的在宅勤務(週のうち何日かを、オフィスでなく自宅で仕事する方式)、移動型勤務(営業職、コンサルなど)、プロジェクト集合型遠隔勤務(ITを駆使してシステム開発等のために組織されたチームメンバーがそれぞれ在宅で仕事を持ち寄る方式)、職住接近サテライトオフィス勤務(どこでもオフィス)、さらに完全なフリーランスなどが全てまとめてテレワークの一種とみなされている場合が多く、定義は全般にはっきりしないが、さしあたりスカンジナビア諸国では3割弱、ヨーロッパ平均でも2割弱の労働者がこうした各種の形で働いているらしい。これに対し、フランスでのテレワークの普及率はわずか9%。エリック・ベッソン産業・エネルギー相(デジタル経済も所轄)やフレデリック・ルフェーヴル中小企業担当閣外相は、この低い割合をどうにかして伸ばしていきたいとの方針を繰り返し示している。
政府の見解は、とにかくテレワークが発展することが経済活性化につながるというもの。やはり分かりにくさは拭えないけれど、要するに、在宅での仕事が増えれば通勤時間のムダが減り、個々人が自由に時間管理して仕事するようになって、ストレスが減り、生産性も向上するという。少し俯瞰的に見れば、要はテレワークの普及で労働スタイルの柔軟性が増すことで、(働く側にメリットが生まれるとともに)労働市場の機能が高まるということが想定されているのだろうか。
既に制度上は、2002年に欧州レベルでテレワークに関する枠組み合意書が締結されており、フランス国内でも2005年に全国職際協約という形で推進体制が整っている。それでも実践がついてこない点に関し、フランス・テレワーク協会のフィリップ・プラントゥローズ会長は「問題はひとえに文化的な点にあります。この国では管理職者が(メール等を通じてではなく)直接指示を与えるのを好むのです」と説明する。一方、テレワーカー向けのSNS「ズヴィラージュ」を立ち上げたコンサルタント、グザヴィエ・ドゥ・マズノ氏は、「働く人々が(在宅勤務で)孤立感を味わうことのないよう、雇用者側で運用をよく調整する必要があるでしょう」と指摘。例えばルノーでは昨年、週に1日だけの在宅勤務というスキームを新たに導入し、今のところフランス国内の事務系従業員の約8%がテレワークを部分的にでも開始しているという。
しかし、これまでと大きく異なる新たな労働形態に対してはやはり批判的な見解も根強い。『メトロ』紙はこの点にも目を向け、労働社会学者、ロベール・カステル氏の意見を詳しく徴している。カステル氏は、下請けや業務委託の拡大といった形を取りつつ、これまで産業が組織されてきた古典的な企業の体制が根本的に揺らいでおり、テレワークの伸長もそれと同じ流れにあると述べる。そして、在宅勤務する人々は確かに若干の時間的制約からの自由を得るかもしれないが、その分孤立化し、また(会社から、組織からの)保護も弱まる可能性が高い、さらに今までよりも恣意的に過剰なタスクを振り当てられる危険性もあり、働くことと私生活との分け目もあいまいになってしまうのではないか(ワーク・ライフ・バランスの後退)と主張している。フランス民主労働同盟(CFDT)でこの問題を担当しているローラン・マチウ氏も、「テレワークが形を成すとすれば、それは休日にも仕事のメールをチェックするような、いわゆるグレー・ワークという姿にもなってくるのでは」と、暗黙の負担強化に対する警戒感を示す。
つまり、テレワークの功罪は結局のところ運用次第というべきで、雇用者と働き手の間で充分な合意と信頼関係が築けていれば、労働者もそれなりに得るものが多くなる可能性がある。一方でこれまでの組織が解体され、人々が個人責任のもとに一人きりで働くというのがベースになるようでは、むしろそのことによるストレスは多くの場合耐え難いものになるのではないか。警戒的な視点に過ぎるかもしれないが、現状ではフランス、そして日本でも、テレワークの進展はカステル氏が言うようなネガティブな側面の台頭を免れないように思われ、その分一定のブレーキがかかり続けることになるだろう。