英マークス&スペンサーがパリに再進出

イギリスでトップの実力を誇る高級スーパー、マークス&スペンサー(M&S)。このM&Sがフランスへの多角的進出方針を表明し、その一環として11月24日、シャンゼリゼ通りに旗艦店舗をオープンさせたことは、パリを中心にフランス国内で大きな話題となっている。しかし本件には、ある種不可解とも言える過去の経緯がつきまとっている。開店当日の経済紙『レゼコー』は、この経緯も含めて今回のM&S進出計画を詳しくレビューしている(Marks & Spencer fait son retour en France aujourd’hui à Paris sur les Champs-Elysées. Les Echos, 2011.11.24, p.24.)
24日に開店したのは、ルーズヴェルト広場と凱旋門のちょうど真ん中、シャンゼリゼ繁華街の中心に位置する1,500平方メートルのM&S大型店。婦人服、肌着、そしてイギリスの食品といった同社得意のアイテムを取り扱う。またM&Sはフランスで、実店舗展開に先立ち、英国内向けとは別の販売サイトを10月に開設しており、紳士・子ども向け衣料品や家庭用品等を含め1万種類以上の商品が紹介されている。ここで注文された品はイギリスから発送され5日以内にフランス国内どこでも届けられる仕組みになっており、価格もユーロ建てで表示されている。
さらにM&Sはこの際、パリ周辺地域で多種にわたる進出計画を順次実施していく構えとされる。食品専門の小型店「シンプリー・フード」の出店(5店舗程度、フランスで既存の店としては、モノプリの「デイリー・モノプ」のイメージか)、さらに大規模ショッピングセンターの一部を使った店舗展開が、今後2年ぐらいの間に実現する見通し。なんと、ルーヴル・カルーセル(美術館の脇のショッピングセンター)にも、ヴァージン・メガストアの後釜という形で出店構想があるというのだから、これは大変意欲的な取組みと言わなければならない。
しかし実はM&Sには、2001年にフランス国内にあった18店舗を一斉に閉店し、しかも従業員には電子メールで(ほぼ事後的に)その事実を知らせるのみだったという「前科」がある。この決定には日頃から店を愛用していた多数の消費者も驚愕し、また完全撤退を惜しんだと言われる。清算を担うためM&Sのフランス子会社のトップに就いていたアラン・ジュイエ氏は、業務や店舗の承継先を懸命に探したが、ギャルリー・ラファイエットオスマン大通りの店舗を引き継いてもらうことしか成果を上げられず(彼の地は現在ラファイエットのリビング館として健在)、仕方なく従業員の再就職先の斡旋に最後の努力を注いだという。
撤退時にM&Sの社長だったリュック・ファンデフェルデ氏の立場からすると、同社は当時、ザラやH&Mといったいわゆるファストファッション企業の猛追を受けており、またイギリス以外の欧州大陸での業績は2001年には5,600万ユーロの赤字となっていたという事情がある。だから、会社そのものの生き残りを図るため欧州の全38店舗を閉じる決断は、少なくともこの時点では避けがたい(正当化される)というところだったのかもしれない。しかし、当時オスマン店の副店長を務め、今は食品部門担当の取締役であるジョン・ディクソンズ氏は、「パリの旗艦店(であったオスマン店)まで閉店したのは間違いでした。この店はM&Sにとって、ロンドンの一番店に次ぐ規模だったのです。今では土地の価格が上がってしまい、同じ場所を手にしようとしてもそれはできないことです」と、過去の判断に対し強い批判的見解を示している。
同グループの現会長であるマーク・ボランド氏にとっては、「失われた10年」を取り戻すべく、意を決してシャンゼリゼ進出に踏み込んだとでも言えるだろうか。いずれにせよ、現在のM&Sが、イギリスにひきこもるのでなく、敢えて大陸再進出(パリ付近に限られるとは言え)を果たすだけの体力を取り戻したのなら良いことだ。2013年ないし2014年頃までに、1億5,000万ポンドの投資を英国外で行い、売上げの10%、約10億ポンドをそこで確保するという目標を実現するため、パリでの動きが順調に推移することを願いたい。シャンゼリゼの新店舗は相当な混雑ぶりのようだが、できればいずれ足を運んでみたいものと思う。