賭けに敗れたある借家人のはなし

住む場所を借りる際の「審査」なるものは、なぜ面倒なのだろう。年収や勤務先から、保証人がどういう人物なのかまで、詳しく問い質される。一度借家人になってしまうとそれなりの権利が発生するからという理由は容易に思いつくけれど、審査の過程できまりが悪い思いをした経験は一度ではない。日本でもこんな感じで、住処を借りるのは少なからず気詰まり、かつ首尾よくいかない場合もあるわけだが、住宅事情が一層良くないフランス・パリなどではそうした問題がより深刻。12月27日付『ル・パリジャン』紙は、一人の借家人の例を引きつつ、パリ周辺部で賃借契約にこぎつけるまでの困難の所在について、エピソード中心に伝えている(Prête à payer un an de loyer d’avance pour se loger. Le Parisien, 2011.12.27, p.8.)。
ある中小企業で販売担当責任者を務めるナタリーは40歳代、娘のシャルロットと2人で、ベルサイユの西側に所在するサン・カンタン・アン・イヴリーヌ市の公共住宅(HLM)に10年以上住んでいる。しかし1年前に近隣の住人から受けたいわれのない暴力行為(45分も続いたという)がトラウマになり、転居を強く望むようになった。現在既に居住中のためか、他のHLMへの優先入居権は得られない状態のため、彼女は正規雇用で手取り1,700ユーロの月給を得ているという点をベースに、月600ないし700ユーロの家賃のアパルトマンをイヴリーヌ県内で見つけようとした。ところがこれがうまくいかない。1つは保証人がいないこと、もう1つは家賃が月収の3分の1以上になってしまうことが非常に災いしたようで、必死に新聞の三行広告をチェックし、家主や不動産業者の元に足を運んでも、つれない返事しか返ってこなかった。数か月してナタリーはいったん転居を諦める。
しかし直後、状況に変化が。親族が亡くなったため数千ユーロの遺産が手に入ったという新事態。この遺産を元手に、彼女は新たな手に打って出た。9月末に「賃借急募、家賃1年分前払い」という投稿を、不動産取引に関するサイトに掲載したのだ。「自分は新たな切り札を手にしたのだ、とその時は思っていました」と、3部屋の新たなアパルトマンへの転居を心待ちにしたナタリーは語っている。しかしこれだけの条件を出したにもかかわらず、3か月たってもどの不動産屋からも連絡はなかった。失望した彼女は、仕方なく投稿を取り下げたとのことである。
この記事が主に問題にしている点は、ナタリーが家探しに必死なあまり、1年分の家賃を先払いする旨ネットに書き込んでしまったこと。家主側がこうした賃料先取りを要求した場合は明らかに違法行為であり、賃借人から自発的に提案することまでは違法とされないものの、いずれにせよ望ましい行動とは言えない。住宅情報企業であるアディル75が12月初頭に実施した調査でも、他人より有利な立場を得るために複数月分の家賃を先に支払うと申し出る投稿がネット上で相当数確認されており、しかも近年はそれが増加傾向にあるとされる。アディル75のルネ・デュトゥレイ社長は、こうした状況を相当な問題を含むものと指摘するとともに、家具付きアパルトマンについては法の抜け穴があり、貸し手が複数月の家賃の先払いを要求する行為が咎めなく行われてしまっているとも言及している(いわゆる家賃と家具借料との区別が不分明で、かつ家具の借料については家賃のような法的制約がないということだろうか)。
もっとも当方から見れば、1年分の前払いを提示したナタリーにどこからもコンタクトがなかったことから推定できるように、家賃前納の提案は必ずしも借り手にとって有利に働くとは言えず、かえって(何らかの事情があるのではと足元を見られて)家主や住宅業者から忌避される可能性すらあるように思える。いずれにしても、諸条件に不利な点がある賃借希望者にとって、契約にこぎつけるまでの道のりは遠い。そして、保証人の有無が非常に大きな影響を与えるというのは、意外にも日本と同じなのだな(フランスですらも、当該契約者の事情や支払い能力に加え、保証人という形での担保を重要視するのだな)とも、改めて感じたことであった。