「不信」をキーワードに大統領選を分析

大統領選を間近に控え、新聞紙上でも関連の報道が日々厚みを増しているフランス。もちろんその内容は各候補者の打ち出す政策、選挙の争点、支持率や結果予測から果ては関係者の一挙手一投足まで幅広く及ぶわけだが、なかには今回の選挙戦の背景にあるフランス社会の構造的な問題や課題を明らかにしようとする論説なども見られる。3月31日付のスイス『ル・タン』紙は、フランス政治の本質的な状況を示すべく、最近関連書を出版した経済学者へのインタビューを試みている(La defiance généralisée, ce mal profond. Le Temps, 2012.3.31, p.9.)
今回登場したのは、ヤン・アルガン氏(パリ政治学院)、アンドレ・ジルベルベール氏(フランス国立科学研究センター、CNRS)との共著で、『不信の構造』(アルバン・ミシェル出版社、2012)を刊行したばかりのフランス理工科学校(エコール・ポリテクニーク)教授、ピエール・カウク氏。もともと労働市場論の専門家である彼は、新聞記者の質問に答えつつ、その著書にある「不信」というキーワードをもって、フランス経済や労働事情に限らず、政治、あるいは社会全般の構造的問題を一元的に説明しようとしている。
世界97か国で実施された調査において、「あなたは他人を信用できると思いますか?」という設問に対し、フランスで「はい」と答えたのは22%に留まり、世界的に見ても非常に低い値を示しているという(ちなみにスイスでは50%)。この「他人一般を信用できない」という感受性は、カウク氏によればフランス社会全般を覆う潮流のようなものになっており、具体的にはあらゆる制度に対する不信、あるいは例えば富裕層に対する不信、又は現行の制度から過剰利益を得ていると疑われているいわゆる社会福祉対象層に対する不信といった諸々が、人々の間に渦巻いているとされる。
さて、インタビュー全体を通して読むと、彼の言う「不信」の構造的な源泉としては、おおむね以下の3点が挙げられるように思われる。
政治制度:国会議員をはじめとして多選化が著しく、またその意思決定が大規模な利益団体の意向に左右されており、結果として国民の目からは、政治過程に一般の人々の問題意識が全く活かされないように映りがちである。
教育システム:一方でグランゼコールにおけるエリート教育がますます拡充され、他方では初等・中等教育で留年が頻発する(各学年で平均して約20%が落第するとの由)という、能力差を助長するような教育制度が強固に確立しており、結果的に社会階層の再生産、固定化に寄与している。
企業組織と労使関係:労使同数が代表を出す企業委員会では労働条件や社会保険について協議をするが、議論の過程は外部からは不透明である。国民議会でこの状況にメスを入れようとした報告書が発行中止になるなど、問題は極めて根深いとみられる。結果として、一般の労働者から見えない場所で重要な決定がなされるという意識が幅広く台頭している。
カウク氏は、社会の諸制度に起因する人々の不信がこれほど蔓延していなければ、結果として社会成員間での公平かつ健全な競争も助長されるようになり、ひいては経済成長(国民所得の増大、失業率の低下等)にもつながるのではないかと主張する。そして、社会の不信感を少しでも和らげるための差し当たりの手段として、国の根幹を成すシステムに関わる事項について、国民投票を実施することが望ましいと提案するのである。
上掲の著書を読むことなく、インタビューだけからの感想になってしまうが、カウク教授のフランス社会についての問題分析は、正鵠を得ている部分もあるものの過度の一般化に陥っているようだ。「不信」という点にスポットを当てて、そこから社会全体の機能不全を見渡していくやり方も、(現代日本などとの比較といった点も含め)興味深い要素があるが、相当無理が生じているという印象も残る。おそらく、フランスという国を支え、動かしている仕組みが明らかに硬直化しており、大方の感触として不信感なり閉塞感があるというのは、大雑把にいってその通りなのだろうが、個別の論点についてはやはりもう少し精緻化した分析をしていかないと、説得力の不足が避けられないと思われる。
ただ、今回の大統領選挙を巡っての各候補者による政策提示、報道等を介した争点の設定において、高所得層への課税強化や移民規制といった、瑣末とは言わないまでもいささか外在的なテーマばかりが取り上げられ、システムの本質に迫るような論議がなされていないというカウク氏の主張には、多少とも耳を傾ける必要があるだろう。5年に1回、国の行方を占う選挙において、その進路を見定めるに足るだけのしっかりした議論がなされるか否かが、長い目で見てその国の盛衰を左右するのはほぼ間違いないところであろうから。