サルコジ政権の5年間を大胆総括

いよいよ大統領選の第一回投票を間近に控え、少しはその関連事項についても触れておきたいのだけれど、いかんせんフランスのメディアはこの話題で沸騰しており(当然だが)、内容も個別の事象を扱ったものが大部分なので、わかりやすい適当な記事を探すのはいまさら容易ではない。そこでやや搦め手ではありつつも、近隣国における報道から興味深いものを拾ってみることにする。4月10日付のスイス『ル・タン』紙が掲載しているサルコジ政権5年間の評価分析は、全体像がうまくまとめられているので、ここではそれを取り上げよう(Ce qu’a fait et défait Nicolas Sarkozy. Le Temps, 2012.4.10, p.3.)。
5年前の選挙戦で、「フランスを変える大統領になりたい」と宣言したニコラ・サルコジ現大統領。与党側は現時点で彼に、中間団体の抵抗や経済危機といった障壁にもかかわらず、フランスを再起動させることに成功した改革者という評価を与えている。対して左派陣営は、「共和国を傷つけ、公約を守れなかった」と、ある意味で決まりきった批判を投げかける。さて当方の見るところ、相反する見方をうけて示される『ル・タン』紙記者の視点は(おそらく日頃の報道姿勢全般を反映する形で)、かなり否定的、批判的な方向に傾いていると言えるように思う。
まず指摘されるのは、主要な経済・社会指標が最近5年間で悪化したか、せいぜい同レベル維持程度にとどまっているという事実である。2007年当時の大統領は「5年後には実質的な完全雇用を実現する」(すなわち失業率を5%以下に抑える)と謳っていたが、実際には現時点で10%のレベル。「より多く働き、より多く稼ぐ」のスローガンを打ち上げることで財政健全化を併せて目論んだものの、今の公的債務は17億ユーロにまで達しており、また家計側においても購買力は全体として向上しておらず、貧困層は全人口の13.5%、約800万人に膨れ上がってしまった。もちろん、2007年当時において想定されていなかった未曾有の欧州経済危機が多大な影響を与えているわけだけれど、財政の悪化などユーロ問題だけからは100%説明しきれない側面もあり、総じてこの間の経済社会政策が首尾よく実施されなかったことは明らかなようにみえる。
もちろんサルコジ氏は多くの改革に着手はした。しかしその多くは市民の不興を買い、あるいは中途半端な内容に終始している。例えば、支給開始年齢の引き上げや既存の特別措置の見直しなどを軸にした年金制度改革は、若年時から働き続けてきた労働者、さらに重労働への従事の見返りに特別措置を享受できるはずだった労働者等の憤激を呼び起こし、2010年秋のデモを中心とする社会紛争を経て、フランスを優遇層と不遇層に大きく分断する結果をもたらしたと言われる。一方、富裕な人々に対する最高税率を50%に引き下げるという施策は、この社会的分断をさらに助長する効果をもったと評され、2011年夏には改訂を余儀なくされている。さらに、公務員の退職2名に対して補充を1名のみとする(部分的な退職不補充)ルールを導入し、16万人の削減を目指した政策も、教育、保健衛生や治安などの分野での要員不足を野党側から批判される結果となった。
大統領に対する不信感は、その政策の実効性如何のみではなく、彼の人間性やスタイルなどにもかかわっている。大統領当選当日にパーティーシャンゼリゼ大通りの老舗高級レストラン「フーケ」で壮大に挙行したり、大実業家ヴァンサン・ボローレ氏所有のヨットを借りてヴァカンスをエンジョイするといった諸々の立ち振る舞いは、人々から「成り金趣味」と評され、また副次的には産業界との癒着を大いに疑われることにもなった。化粧品大手ロレアル社の大株主一族に属するリリアンヌ・ベタンクール氏からサルコジ陣営が選挙資金を受け取っていたとされる疑惑も、上記の税制改革で大金持ちが減税に浴したこととの絡みで捉えられるようになったのは、経緯を踏まえれば当然だろう。世論調査会社CSAの創業者で政治評論家でもあるロラン・ケイロル氏は、「人々は、大統領は偉大さを持ち合わせるべきと考えています」と述べ、サルコジ大統領にはそうした偉大さ、あるいは風格といったものが欠けていたとの評を下している。
もちろん意義深い改革が行われなかったわけではない。人事や財政面で各校により多くの裁量を与える内容の大学改革は、国内の教育研究拠点を着実に整備していくために有効との見立てが多い。2011年財政法改正による企業の研究開発費に対する税額控除強化(30%)も、多くの中小企業がその恩恵を享受する形で具体的な成果を挙げている。さらに、公共交通及び教育分野におけるストライキ時のミニマムサービス義務付けは、シラク政権時代からの懸案でもあり、(一部労働者は不満かもしれないが)大方の好評を得ていると言えるだろう。上述のケイロル氏は、年金制度改革の「強行」が多くの労働者・市民デモを巻き起こしたのは事実であるとしても、一方で人々はこの改革を(人口学的トレンドや財政状況を勘案すれば)止むを得ないものと冷静に受け止めているのではないかと論じ、社会政策に関連する大統領の一連の改革には(表層的な認識とは異なり)意外にも見るべきものが多いのではないかとの立場を取っている。
もう一つ、サルコジ大統領が比較的優れた実績を残したとみなされているのが外交分野。バグボ大統領を退任に追い込んだ国連軍との協調によるコートジヴォワールでのミサイル攻撃、南オセチア紛争(ロシア・グルジア間の確執)における調停実現は、武力行使も選択肢に含むフランスの外交判断が有効に作用したケースと考えられる。また、2008年にはEU議長国の役割を的確に果たし、ユーロ危機に際してはドイツのメルケル首相と緊密な連携を取って、欧州理事会、G8、G20などの会議を経て最大の難局を脱出することに成功した。チュニジア情勢を見誤り、当時のベン・アリ大統領に対して騒擾を適切に収めるべく警官の派遣を申し出たり、後に失脚するリビアカダフィ大佐を2007年の時点で訪仏させるなど、「アラブの春」を巡っては判断が概して裏目に出ることも多かったが、総合点ではプラスが勝るといったあたりになるのだろうか。
他方で大統領が当初構想しつつも、中途半端に終わったり、手をつけられなかった施策も少なくなかった。産業競争力回復のために企図した法定労働時間35時間制の廃止は、結局残業時間への免税措置導入という形で現在まで推移しており、今後も労使協定による労働時間決定の容認という方向では進展するとしても、現行制度そのものに手をつけることはなさそうな状況にある。企業及び労働者の社会保障負担金の引き下げ、それに見合う形での付加価値税の引き上げも当然ながら反発が少なくなく、金融取引税の新設と共に実施は選挙後まで(再選されたら、という条件で)先送り。炭素税導入は議会で可決されたものの、憲法院の拒否に遭い失敗に終わっている。サルコジ氏は司法改革にも関心を示し、予審判事(刑事事件で尋問や証拠調べを行い、裁判所送致の当否を決める)制度の撤廃を打ち出していたが、検察官が予審判事に全面的に置き換わるのがよいのかという議論も根強く、これも実施に向けた強い動きは生じなかった。
以上全体を通じて下されたケイロル氏の評価は、「サルコジ大統領は、ヴィシー政権以来最も激しくフランス社会を分断させた大統領だった」というもの。国家統合の礎として元首たる大統領があるべきという考えに基づくならば、サルコジ氏はその有り様に反した存在だったとでも言えるのかもしれない。ただ敢えてこの記事の批判的論調に留保をつけるならば、大統領のパーソナリティに起因する要素はともかくとして、その政策に関しては、国際政治・経済の激動という基本条件のもとで、誰がその任にあっても舵取りは難しかったのではないかと容易に想像できるところではある。そしてまた、今回の大統領選の結果がどのように出ようとも、単なる「人気取り」「票集め」を超えたレベルで、真に方向性をもった政策なり改革を実施していくのは、誰にとっても一層難しくなってくるのではないだろうか。