争点見えぬまま大統領選は投票に突入か

2強候補の争いといった感じで内外報道では集約されつつあるフランス大統領選挙(本当にその図式でいいのか、多少の疑問の余地なしとしないが)。連日賑やかに論戦が闘わされているように見えるものの、その質はいったいどんなものか。そもそも今回の選挙で、争点はどのように抽出され、議論されているのだろうか。4月12日付のベルギー『ル・ソワール』紙の記事では、候補者間で交わされている舌戦の実態に触れつつ、その内容に疑問を投げかけている(Un zapping permanent. Le Soir, 2012.4.12, p.10.)。
本記事によれば、これまでの大統領選においては、それぞれ争点はある程度はっきりしていたとされる。1995年は社会的断層の存在、2002年は治安問題、2007年は労働と収入、さらに国としてのアイデンティティの問題。しかし今回はそれが一向にはっきりしないまま投票直前に来てしまっている。
現在、そうした争点に代わるのは、その都度の事件などに対する各候補者の態度表明、そして思いつきのような対応策の提示といったものばかり。ハラール認証肉(イスラム教の戒律に従って供給されている肉)が学校食堂で広範に使われているという疑惑が取り沙汰されると、ハラール肉への規制如何が話題となる。また、イスラム原理主義者による連続射殺事件が発生すれば、それへの政治的対応を候補者がどう考えるか(サルコジ政権の閣議では、テロを賛美するイスラム原理主義的なウェブサイトに頻繁にアクセスする者に対して罰則を設ける可能性が論じられたという)が注目の的になる。そんな個別問題が浮き出してくるばかりの選挙戦を、記事は「絶え間ないザッピング状態」が続いていると皮肉っている。政治家同士の真の「討論」は存在せず、せいぜい激しいとはいえ表層的な「論争」、悪くすれば単なる相互中傷が繰り広げられるだけというのが実状。まるで「自分に投票しなければ、対立候補はみなさんを破滅させるでしょう」とでも言わんばかりだ。
社会党のオランド候補は1年以上前に大統領選に向けて自らの公約を示した際に、税制改革をその中心に据えた。つまりは、富裕層に厳しく庶民には優しくという方向性を出したわけだが、そう言っておけばとりあえずうけるのは当たり前で、その点を記者は「いくじのない公約」と酷評している。ところが選挙前のこの期に及んでも、相変わらず打ち上がるのは、高額所得者に対する75%課税などといった同様の(しかもより大衆の歓心を買う目的が見え見えな)施策ばかり。ついにはサルコジ候補が年金支給日を毎月8日から1日に繰り上げると言い出し、かたやオランド候補は新学期手当(児童生徒のいる家庭に毎年8月頃に支給する手当)増額を掲げるといったふうに、様相は「最後のお願い」ならぬ「最後のバラ撒き」といった感を呈してきている。
真の争点が見出されないからか、もっと根本的に政治にシラけているのか、あるいは他の理由によるのかはわからないが、世論調査によれば有権者の32%が投票に行かない予定とのこと。これも一種の政治不信とくくるならば、日本と似た風景がフランスにもある(もちろん同一視などはできないにせよ)ということになるのだろうか。