多難さ浮き彫りの欧州文化首都マルセイユ

1985年から始まった「欧州文化首都」プロジェクトでは、毎年欧州圏内の2都市が選定され、1年をとおしてイベントが重点的に実施されることになっている。今年、スロヴァキアのコシツェと共に選ばれているのがマルセイユ。周辺のプロヴァンス地域も巻き込む形で各種の大型企画が始動しているが、一見したところの華やかさに目を奪われてはいけない側面もあるようだ。
オープニングは年初さっそく1月12、13日に開かれ、翌14日付のフリーペーパー『ヴァン・ミニュート』紙ではこの模様をリポートしている(L’architecture plus que la culture. 20 Minutes, 2013.1.14, p.10.)。12日夜にはマルセイユ旧港を主な舞台に花火が豪快に打ち上げられ、欧州文化首都招致を記念すべく新たに建てられた大規模文化施設、ヨーロッパ地中海文明博物館(MUCEM)や、巨大倉庫をイベントのメイン会場に改造したJ1などがイルミネーションで飾られているさまを一目みようと、多くの市民が古くからの市街地に詰めかけた。エクス・アン・プロヴァンス市でも通りや街区をアートで飾る「場の芸術」と題したイベントが既に始まり、街の表情に異彩を放っているようだし、大規模文化行事の出だしはまず順調と言いたいところだけれど、実のところ内情は生易しいものではない。
イタリア出身の建築家、リュディ・リチオッティ氏(ルーヴル美術館イスラム部門展示室などの実績を有する)が手掛けたMUCEMは、工期の遅れにより、会期が3分の1ほど過ぎた初夏までオープンできないことが決まっている。一方のJ1は、フル稼働を期待されるはずが倉庫を改築した関係で空調がうまくいかず、5月後半から10月前半までの夏季期間は止むなくクローズになってしまう。せっかくの施設面で片肺飛行を長く続けなければならないことが明らかなのだ。
以前からアート村としての機能を果たしていたベル・ドゥ・メ地区のラ・フリッシュが、この機会に整備されてビジュアルアートやスペクタクルの会場としての役割を担うことになるのはよいとしても、ここで開催されている現代美術展「此方、彼方」は、『ヴァン・ミニュート』紙の見立てによればクオリティの点で今一つ雑然とした印象が拭えないらしい。
そもそもこうした欧州文化首都の仕組み自体が曲がり角に差し掛かっているようで、1月11日付の同紙はそのあたりを検討している(Marseille 2013, et au-delà. 20 Minutes, 2013.1.11, p.8.)。欧州経済がかつてのような前向きの展望をほぼ失い、特に財政面での制約が厳しい昨今、企業協賛もあるとは言えかなりの部分を公共事業に負っている欧州文化首都は、少なくとも今までのやり方ではもはや成り立ちにくいと考えられているのだ。一説によれば、フランス国内に文化首都がやって来るのは、パリ、アヴィニョン、リールに続く今回のマルセイユが最後になるのではとも言われているとのこと。それでも今回も7億ユーロがこの都市と周辺地域に注ぎ込まれ、上記のような各種の箱モノ施設が建設されているのが実状である。
こうした現実はありつつも、各開催都市では、こうした大イベントを敢行することによる文化面・観光面を中心とする効果をどうしても夢見てしまう。マルセイユがあやかりたいと考えている第一の都市がリヴァプール。2008年の文化首都になって以来、観光客が倍増したのだそうだ。ただ、同市の現代美術館長であるジョージア・カロフ氏は、「我々が理解したのは、生きた文化(現代美術を含む)を振興するにはお金がかかるけれど、文化遺産は大した費用もかからずに莫大な収益をもたらすものだということです。旅行客はビートルズにまつわる、趣のある街並みを見に来ます。実はそれは幻想であって、現代美術のアーティストたちが表現している厳しい社会的現実とはまったく異なるものなのですが」と、実状を皮肉っぽく語っている。文化を育てたいという思惑と観光産業とは、結局どこかですれ違ってしまうのだろうか。
もう一つ、同じフランスの北西部にあるリールも、ある意味で「お手本」的に考えられている都市だろう。2004年に欧州文化首都のイベントを華々しく実施したリールでは、この機に大規模な市街地再開発を実施し、さらに2005年以降も「リール3000」と名付けて2年に1回、ヨーロッパをテーマとした文化イベントを開催しているという。ただリールはまだ欧州諸国に経済的な体力があった頃の開催都市で、だからこそいわば「抱き合わせ」で再開発ができたという背景があり、またパリ・ロンドン・ブリュッセルを結ぶ交通上の結節点に立地するなど有利な点を多々持っていて、マルセイユと単純に比較するわけにはいかないだろう。「いずれにしても財政的援助は受けられるのだから、この機会に良い方向に向かえば、そしてそれが(援助やその経済効果が)続けば良いのだが」と考える関係者もいるかもしれないが、終わってみたら結局いくつかの箱モノが残っただけ、といった結果になる可能性すら、考慮に入れておくべきではないのだろうか。