本当には喜べない雇用状況

いわゆる00年代の10年間、他のヨーロッパ諸国やアメリカ、日本などと比べて、スイス経済が相対的に好調だったことは比較的よく知られており、またその堅調な経済状況は雇用の増大にもつながった。これを「スイス雇用の奇跡」とも言うそうだが、仔細に中身を見たときに、実は本当に手放しで評価できる内容なのか、疑問がないわけではない。3月16日付の『ル・タン』紙は、雇用創出をただ喜べない事情について、識者の見解を交えながら分析している(Le miracle de l’emploi en Suisse repose sur des bases vulnérables. Le Temps, 2013.3.16, p.15.)。
一言でいって、スイスの雇用は非常に安定している。最近10年間の失業率は2%から3%の間を推移しており、この間約37万人分の職が新たに生み出された。そして背景としては、2000年頃のITバブルとその崩壊がもたらした混乱、そしてもちろんリーマン・ショックに端を発する金融危機の影響などが少なからずあったにもかかわらず、国内市場の底固さ、付加価値の高い商品やサービスへの集中が進んでいることなどが功を奏したという見方も一見成り立ちそうにみえる。しかし識者は、好状況でありそうなこうした事情に対して少なからず懐疑的だ。スイス経団連のチーフ・エコノミスト、ルドルフ・ミンシュ氏は、雇用が増加した分野が、医療関係、社会関係、公共サービス、その他のサービスの4つに著しく特化していることを明確に指摘する。これらは景気を反映して伸縮する職業領域ではなく、さらに(とりわけ公共サービスなど)それ自体が何かを生産するという要素がほとんどない分野と位置付けられよう。連邦経済省経済政策局景気調査課長のブルーノ・パルニサーリ氏は、こうした状況が結果的に国の平均的な生産性レベルを引き下げるのではないかとすら危惧している。
確かに工業の領域で雇用が大きく伸びた部門もあるが、それは医薬品、化学産業、時計業の3種に限定されている。機械産業は金融危機後の後退局面からまだ立ち直っておらず、この5年間に約1万人(就業者の8%)が減少した。長く続くスイスフラン高の傾向が、工場立地を諸外国に移転させる傾向をもたらしたのは、少なくとも産業総体としては間違いないようだ。さらに従来スイスの強みの一つであった観光業・飲食業について、ここ10年間でかなりの雇用喪失が生じているのも大きな問題であり、これはフラン高という一時的要因のみならず、もう少し構造的な問題の所在(集客力に陰りが生じる要因など)を検討する必要性を感じさせる。
さらに、スイス労働組合連合(USS)に属するエコノミスト、ダニエル・ランパール氏が指摘するように、雇用者数の統計からはこの間の非正規雇用の増大といったトレンドが隠されてしまっているという点も見逃してはならないだろう。「奇跡」ということばに踊らされずに実状を丁寧に見ていくと、現在のスイスはむしろ、(産業立地の外国流出を食い止め、かつ労働生産性を高いレベルに維持できるような)新たな産業政策、労働政策を構想していくことが必要な段階に来ていると言えるのではないだろうか。