ケータイは青少年に有害、か??

一見、洋の東西を問わない話のようで、少し中身にふれると実態の違いに驚かされるということはしばしばあるもの。4月4、5日付けの『ル・フィガロ』紙の記事を読み、携帯電話をめぐる議論もその一つなのかと考えさせられた(Le portable n'en finit pas de diviser parents et ados. Le Figaro, 2009.4.4-5, p.10.)。
記事はそのタイトル(ケータイが親子を隔て続ける)が示すように、否定的なコメントから始まる。曰く、携帯電話は家庭の雰囲気を乱すものである(精神医学者の会議における一般的見解とのこと)。曰く、子どもたちは携帯を食事の場に持ち込んだり、勉強せずに電話したり、睡眠を削ってベッドでメールしたりして困ったものだ、と。
ところが、後半になると論調は急に変わる。フランス人の87%が携帯を便利なものと受け止めているというアンケート結果に触れたあとで、フランス携帯電話運営業協会会長、オランジュ社常務であるジャン−マリ・キュルパン氏の以下のようなコメントを取り上げるのだ。「時に問題のあるケースが生じるにしても、家庭の中での携帯の位置については、いずれコンセンサスが得られるものと思います。携帯であれ何であれ、子どもが無作法だということで親子にあつれきがあるのは珍しくもないわけですから」。そして最後には、ケータイは家族の紐帯を保つための「へその緒」だ、とか、祖父母世代と孫の世代の新たな交流の可能性が生まれている、などというまとめで締めくくってしまっている。
当然のことながら携帯電話業界への『ル・フィガロ』紙の配慮があるのだろうけれど、それなら批判的なタイトルを振ってくる必要はないはず。方向性の定まらないもやもやした感触が読後に残るが、好意的に見ればそのあたりが、フランスにおける携帯電話をめぐる論議の不安定さをそのまま示しているのかもしれない。
なおこの記事では、若者に「正しい」携帯使用を勧めるために、月間の通話時間が制限される「ブロック契約プラン」で使わせること、親が携帯の使い方の模範を示すことの2点が挙げられている。しかしフランスでのこうした対策は、携帯サイトのフィルタリングが最重要の課題と言われる日本からは、いかにも牧歌的なものに思われる。携帯電話とネットとの融合の度合いの差異が背景にありそうだが、両国の事情の隔たりを改めて感じた。