「モンテーニュ通りのカフェ」

飯田橋ギンレイホールで、ダニエル・トンプソン監督「モンテーニュ通りのカフェ」を見る。全206席が満席で、通路に座る客も出るほど。これだけ人気のある映画館を見習って、新作ばかりのシネコンだけでなく、名画座がもっと増えてくれたらと願うところ。
パリ8区に実際にあるモンテーニュ通り、さらにそこに実在するカフェ、劇場(コメディ・デ・シャンゼリゼ)、コンサートホール(テアトル・デ・シャンゼリゼ)、オークション会場を舞台にして、複数の人物のストーリーが交錯し、同時進行するスタイル。
あまり知識を仕入れずに見たので、最初はカフェを「主な舞台」にした映画かと思っていた。実は、クロード・ソーテ監督、イヴ・モンタン主演の「ギャルソン!」(1983)がカフェを舞台にしたような意味では、あるいはロラン・ベネギ監督「パリのレストラン」(1995)がレストランを舞台にしているような意味では、この映画はカフェ自体を「主な舞台」にしているわけではない。カフェは、劇場、ホール、オークション会場をつなぐ結節点。セシル・ドゥ・フランス演じるウェイトレスも、ヒロインというよりは狂言回しという役割が強いように思う。
コンサートホールに出演中のピアニストは、妻とのあつれきや世間体との葛藤を乗り越えて、新たな人生への機をつかむ。劇場ではコメディの主演女優が、ドタバタのあげく本格的アメリカ映画の出演機会を得る。これまでの収集物の全てをオークションにかけようとした老人は、息子と和解し、家族の思い出が込められた彫刻を手元に残す道を選ぶ。
この映画の原題は fauteuils d’orchestre(コンサートホールの観客席)と付いている(「カフェ」の文字は原題にも英語タイトルにもない)。ピアニストがウェイトレスに語りかける「最前列席に勢い込んで来て座る客がいるが、近過ぎる席は本当は良く見えないんだ」ということばが、おそらくタイトルを読む上でのキーワード。プログラムなどを入手できなかったので思いつきを書くが、人を押しのけて前へ前へと走るのでなく、少し引いた位置から周りを、そして自らの人生を見直してみることが、ひとつの転機になり得るというメッセージが、原題にはひそかに込められているのではないだろうか。見終わった後に暖かい印象の残る良い映画だった。