「ユキとニナ」

恵比寿で諏訪敦彦、イポリット・ジラルド共同監督「ユキとニナ」を見る。とても心地よい映画だった。1時間半の間、心の淀みや負荷といったものを一切感じることなく、素直な気持ちで映画の世界に浸ることができた。
フランス人のパパと日本人のママが離婚間近で、これからはママと一緒に日本で暮らすと突然告げられた9歳の少女ユキ。パパと別れたくはないし、なによりも随一の友達ニナと離れるのは絶対にイヤ。でも意地を張ったり泣き叫んだりすることもできず、ママの懇願につい「いいよ」と言ってしまう。ニナは「一緒に家出しようか?」「誘拐されたお芝居しようよ?」などと話しかけてくるが、ユキは寂しさと不安で元気も出ないまま、日本への出発の日が近づいてくる。
前半部では、ささいなことで始まる夫婦のいさかい、涙を流しながら、それでも離婚して日本に帰る決意は変わらないと娘に告げる母の告白、悲しみの余り夜中に一人踊り狂い、その勢いを借りて娘に語りかける父の説諭(?)といった情動的な場面も多いのだが、なぜか映画を見ている側の心が波立つことはなく、むしろそうした光景がどれもコミカルに思えたりする。大人たちが情念をむき出しにしているのに対し、ユキはずっと無表情。持て余すほどの感情を抱えたあげく、自分のなかに閉じこもって不安に耐えるのに必死なユキの存在が、それぞれの場面を客観的に見せる効果を与えているためだろうか。
ユキがニナに誘われてついに家出し、フォンテーヌブローの深い森に迷い込むところからがこの作品の山場になる。思うに森とは、(神秘主義的という批判を恐れずに言えば)その光と闇から放たれる「気」によって、人にある種の「超越」の機会を与える場なのではないか。ニナとはぐれてしまったユキにとっての「超越」とは異界との出会い。そしてそのときの感触さえ携えていけば、ユキはどこででも、誰とでも生きていける。本人も瞬時にそのことを心の奥底で感得したのだと思う。
人は(子どもは、ではない)、耐え難い現実のなかでも、何かのきっかけさえあれば、生きて、生き抜いていけることがある。この映画はそんな想いというか、希望を伝えるメッセージだったように思えた。
以上、なんと大仰な、よくわからんことを、という向きもあるだろうが(書いてる本人も分かってないという説あり)、まあ気にせずに見に行ってください。いい映画です。