『シャンソン 街角の賛歌』

植木浩『シャンソン 街角の賛歌』(講談社1984)読了。著者は1931年生まれ、NHKの音楽番組ディレクターから文部事務官に転身した経歴を持つ。その後文化庁長官(1988〜1990年)、東京国立近代美術館長などを経て、現在は箱根のポーラ美術館館長を務めている。本書は植木氏が1966年から1970年まで、在フランス大使館の文化担当書記官として勤務していた時代の体験を軸に、シャンソンに対する想いを自由な筆致で綴ったもの。
パリ・コミューン期に誕生した歌「さくらんぼ実る頃」、1930年代にラジオでヒットした「白いバラ」(ベルト・シルヴァ)から、1960年代以降の「水に流して」(ピアフ)、「ラ・ボエーム」(アズナブール)まで、シャンソンの歴史を詳しく掘り下げつつ、にもかかわらず読みやすい文体に驚かされる。時代を追った説明調の文章ではなく、モンマルトルやセーヌ河といった名所、あるいはさまざまな季節の彩りといったトピックに織り交ぜながら、さりげなくそれにちなんだシャンソンを紹介している。またジュリエット・グレコイヴ・モンタンといった大歌手は章を立てて取り上げており、特にエディット・ピアフについては詳しく、その生涯を哀歓込めて振り返っている。
さらに全体を通じて、原詩と訳つきで多くの楽曲が掲載されているのも楽しい。ほとんどの訳は植木氏自身のものだが、これがまた簡潔でしかもうまい(フランス語学習者にはかなり参考になる)。
もちろん本書には、60年代後半パリに暮らし、多くのコンサートに出かけ歌手とも知り合う機会を得た著者の体験がふんだんに書き込まれている。引退後のダミアを取材に訪れた日本のテレビ局のクルーに協力するため、ダミアの自宅を突撃訪問し、一節だけでも歌ってほしいと説得を試みる著者の奮戦ぶりは、パリ在勤の文化アタッシェの仕事のひとこまを垣間見させる(著者の説得は半ば成功、だが失敗?詳しくは本書125〜128頁にて)。
ところで、一部の例外(イヴ・モンタンの1982年日本ツアーの光景など)を除き、本書の記述は1960年代末まででしめくくられている。そもそもフランス在住時の思い出を書き留めたというこの本の来歴からしても、それはまあ当然ではあるだろう。ただ、1960年代は実は、フランスの音楽シーンが急激に変化し始めた時代だった。セルジュ・ゲンズブールシルヴィ・ヴァルタンフランス・ギャルなどが先鞭をつけ、台頭してくるフレンチ・ポップの流れ。その端緒は60年代には既に見られたのだが、植木氏はおそらく故意にであろう、その流れについて本書でほとんどふれていない。そのことをもって、本書は図らずも、いわゆる「シャンソン」というジャンルの「盛衰」を明らかにしたものになっているのではないか。
一方、日本では昭和30年代にシャンソンブームが起き(235〜236頁)、昭和38年(1963年)からはシャンソンの祭典である「パリ祭」コンサートが毎年開かれるようになった(59頁)。本場フランスでシャンソンが少しずつメインステージを明け渡すようになったその時期に、日本ではそのブームが到来したというのも、ありがちとはいえ皮肉なこと。自分はシャンソンフレンチ・ポップも好きだけれど、シャンソンについては、言ってみればどこかそのレトロさ、ある種の憂愁といったものに惹かれているのかもしれない。