『パリのファッション・ビジネス』

井上隆一郎『パリのファッション・ビジネス』(筑摩書房、1988、版元品切)読了。井上隆一郎氏は日本貿易振興会(ジェトロ)に勤務して主に調査畑を担当、その後桜美林大学教授を歴任している。本書は井上氏がジェトロのパリ駐在員だった1971年から75年にかけての経験をもとに、その後の文献調査の成果も加味して書かれているが、彼の多くの著書のテーマは、中国を主とするアジアのビジネスや企業に関するものに集中しており、フランスについての著作は本書と、その前の版である『フォーブール・サントノレ通り』(1977年)のみ。一言でまとめれば、本書は井上氏がジェトロで培った産業分析の手法を用いつつ、フランスの華やかなるファッションの世界、その歴史と現在を「産業」という角度から捉え、平易な文章で説明した独特な切り口の著作と言える。また、経済・社会的な側面を中心にファッション界を描いているので、モードの門外漢にもとてもわかりやすい内容になっている。
自分もこれまでブランドの名前を断片的に知っている程度に過ぎなかったので、本書の内容は大いに勉強になり、またある意味「体系的」にファッション・ビジネスについて学ぶことができたように思う。そこで以下、備忘のためにメモ。

  • 近代オートクチュール創始者は、イギリス人のクチュリエ、シャルル・ウォルト。それまでの裁縫師が、顧客である貴婦人の注文通りに衣服を仕立てるだけだったのに対し、ウォルトは1858年に開いた店で、あらかじめ自分がデザインした服を顧客に見せ、注文を取るという方法を始めた。(4〜6ページ)
  • 1868年、オートクチュールの業者の同業者組織「フランス・クチュール組合」設立(後に「パリ・クチュール組合」)。通称「サンディカ」。(9ページ)
  • 20世紀初頭、ポール・ポワレクチュリエの第一人者として活躍。服装の単純化(コルセットからの解放)を進め、サンディカに参加するための厳格な条件を設定。またクチュリエとして初めて香水を手掛ける。(10〜18ページ)
  • 第一次大戦直後からは、ココ・シャネルがファッションの王座に。自然で合理的な衣服を作り出すことをモットーとする。また他人が自分の作品をコピーすることを歓迎し、結果として自分のアイデアの世の中への普及を推進。(25〜27ページ)ただしコピー業者にシャネルのグリッフを利用させることには同意せず、この点では保守的な姿勢を貫く。(46ページ)
  • シャネルは「トータル・ファッション」を打ち出し、セレクトしてきたアクセサリーやハンドバックも自分の店で販売。「シャネルの5番」で香水産業の発展を支えるとともに、逆に香水での収益をオートクチュールで使用するという新たなビジネスモデルを打ち立てる。(39〜43ページ)
  • 第二次大戦後、ニューヨークやロンドン等の追撃により、「ファッションの都」としてのパリの地位が危ぶまれていた時期に、フランス政府の支援によりクチュリエのコレクションの共同発表会(1945年)が開催される。(52ページ)政府はその後も、特にミッテラン政権の下で、「伝統産業振興」の名目でファッション・ビジネスを支援し、「合同プレタポルテショー」の開催(1982年)、「モード芸術美術館」の設置(1986年、現「モードと織物美術館」)などの振興策を実施。(156〜157ページ)
  • 戦後期にクリスチャン・ディオールが台頭。「ニュールック」という名の下、逆説的に復古調ファッションが一世を風靡。製造権とグリッフの使用権を他業者に譲渡する「ライセンス方式」を確立。またアメリカの既製服業者と手を組んでプレタポルテを販売。(53〜67ページ)
  • 1950年代にシャネルがカムバック、シンプルでナチュラルなスタイルが再び流行の先頭に。(71〜73ページ)
  • 同じ50年代に有力なクチュリエとして登場したピエール・カルダンは、特に紳士服プレタポルテの分野で先進的な実践を展開。またライセンス方式で紳士用のおしゃれ用品に進出。(90〜100ページ)
  • 60年代、ミニ・スカートの台頭を背景に、アンドレ・クレージュクチュリエとして婦人服プレタポルテで目立った成功を収める。カルダンなどもこの動きに追随するが、シャネルはプレタポルテへの進出に反対を維持する。(101〜110ページ)
  • 同時期にクチュリエとして世に出たイヴ・サンローランは、ブティックにおけるトータル・ファッションの展開という販売戦略で新機軸をなす。(110〜119ページ)
  • 1970年代に入ると、プレタポルテ専門のデザイナーであるスティリストがファッション界に大規模進出。ソニア・リキエルカール・ラガーフェルド高田賢三など。サンディカでも新たにこれらの有名スティリストを受け入れるようになる。(122〜125ページ)。さらに他業種からファッションへの参入も盛んに。革製品のエルメスセリーヌなど。(131〜134ページ)

主にパリの近現代ファッション・ビジネス史のトピックに当たるようなものを拾い上げてみた。本書ではさらにファッション業界の内部構造について、また日本への進出の経緯などについても詳細に記述がなされている。刊行から既に20年以上が経過しているが、現在のファッション業界の動きを調べようとする際にも、基礎知識としていつでも参照できる便利な本。人名・企業名索引がついているのも助かる。自分にとってはさしあたり、サンローランの映画を見に行く上での予習になったような感じ。