『ブランド王国スイスの秘密』

磯山友幸『ブランド王国スイスの秘密』(日経BP社、2006)読了。著者の磯山氏は日本経済新聞記者で、本書は2002年から2年間、チューリッヒ支局に勤務した際の取材等に基づいて執筆されている。一読、問題意識が非常に明確であり、それに基づいてスイスという国の現状をうまく解き明かしていると感じた。

たしかに、国民の生活は豊かで、安全は欧州大陸随一、世界中の金持ちが退職後の生活の場に選ぶ国、それが現在のスイスの表層的イメージではある。(中略)けれども、そんなスイスのおだやかで保守的なアルプスの谷あいの小国という表の顔の裏には、まったく異なる別の顔がある。「人口わずか730万人の資源もない小国が、世界有数の企業を抱え、発展した金融市場を持ち、世界中から『ヒト、モノ、カネ』を集めることに成功している」という別の顔が。(7頁)
小国スイスが世界中の「ヒト、モノ、カネ」を集めるだけの力を有しているのは、偶然の結果ではない。また、過去の繁栄の単なる遺産でもない。スイスに生きる人々が明確な意図を持って作り上げてきた結果としての、まさに「国のかたち」なのだ。(9頁)

そして磯山氏は、この「国のかたち」を構成する重要な要素として、「ブランド」というキーワードを導入する。

スイスという国は、自らを強力な「ブランド」に仕立て上げた、とみることができる。高級時計、金融、国際政治、観光、風土……、実際、いずれの分野においても強固な「スイス・ブランド」を確立し、そのブランドの強さが「ヒト、モノ、カネ」を呼び寄せている。スイスというのは、まさしく世界最強のブランド国家なのだ。(12〜13頁)

本書は終始一貫して、この「ブランド」という言葉を軸にスイスを読み解こうとする。そしてまず取り上げるのは、経済紙記者らしく、多国籍企業の「ブランド戦略」だ。70年代に技術や価格競争力で先行した日本の時計業界に反攻を仕掛け、ファッション性と希少性を売り物にする「スウォッチ」と、買収後も個々のブランドイメージを守り高級路線を堅持する伝統ブランド時計群(オメガ、ロンジン等)とを両翼として、ブランドポートフォリオを確立したスウォッチ・グループ。徹底した買収攻勢の結果、8,500ものブランドを手中にし、しかもそれぞれのブランドのネームバリューを最大限に生かした経営に努めている食品企業ネスレ。これらの大企業に成功したブランドマネジメントの事例を見つつ、日本でのブランドに関するありがちな考え方(買収後は元のブランド名を消し去ってしまう)を対比させ、ブランドの持つ価値を重視するスイスらしさを浮き彫りにしている。
著者の視点からは、通貨である「スイスフラン」も一種のブランドと位置づけられる。スイスは物価が高いというのは常識であり、また外国からの観光客にとっては悩みの一つでもあるが、実は給料もその分高くなっているので、スイス人自体は基本的には高物価に困るということはない。むしろ外国で強い通貨のメリットを享受できるという感覚が強い(国境を越えてフランスやドイツで日用品を安く手に入れるなど)。しかも、スイスフラン建てで預金することの安心感から、世界中のマネーがスイス国内に吸い寄せられるということにもなっていて、周知のとおり、低税率と銀行の厳格な守秘義務の存在が、そうした資金流入に輪をかけている。磯山氏は、「スイスの銀行守秘義務を私は、歴史の中で築き上げてきたスイスの優位性だと考えている。決して世界のルールを無視する『黒いスイス』の象徴だなどとは思ってもいない」(75頁)と明言して、一つの「国のかたち」としてのスイスの経済金融制度を承認している。
ただ、これまで成功してきたスイスのさまざまなブランド戦略も、最近ではグローバリゼーションを背景として転換を迫られているのが実情。本書の後半はこの点の検討に当てられている。例えば、世界的なデフレ傾向がスイスの高物価を一段と際立たせる中で、前述したような経済の基本構造が今後も維持できるのかは大きな論点と言えるだろう。また著者はブランド戦略が国際競争の波に完全敗北したケースとして、スイス航空の破綻と、その後継会社のルフトハンザ傘下入りを挙げる。「空飛ぶスイス・ブランド」であったスイス航空が敗退を余儀なくされた理由は、提携による無理な拡大戦略が、国際的な航空業界再編成の波に取り残される結果を生んだためとされる(151〜158頁)。ブランドをもってしても、激しい競争を前に必ずしも立ちゆかないような厳しい時代が到来したとでも言えようか。
もう一つ、スイスも欧州に広がる政治の右傾化の潮流にさらされているのでは、という点が、この国に根本的な変動をもたらしかねない要素としてしばしば取り沙汰される。磯山氏も2003年のクリストフ・ブロッハー氏(スイス国民党所属、外国人の処遇に関する「過激」な発言で知られる)の入閣をめぐる事情を詳述し、この点を取り上げてはいる。しかし一方で、ブロッハー氏が化学企業の会長兼最高経営責任者であることを紹介し、国際的ビジネスマンとして同氏が大きく政治的バランスを失することはないのではないかという見解を採っている(163〜170頁)。
実は、本書と近い時期に、同じ日本の新聞記者によって書かれたスイスに関する本がある。福原直樹『黒いスイス』(新潮新書、2004)。タイトル一つ取ってしても、磯山氏の著書とは対極的な立場で書かれたものであることが想像できよう。筆者が見るに、毎日新聞記者である福原氏の視点は、磯山氏のそれを補うという意味で非常に貴重なものであるが、「スイスは黒い」ということを提示することに集中するあまり、叙述や構成に無理が生じていたり、すでに歴史的事象に属する事柄に力点を置いているなど、記述のバランスをやや欠いているきらいがなきにしもあらずと思われる。しかし、ブロッハー氏に代表されるスイス政治の右傾化の動き、外国人排除の流れ等については、福原氏の見立ての方が磯山氏の楽観主義よりは(現時点から見ると)より的を射ていたのではないかと感じる。
ブロッハー氏に直接インタビューする機会を得た福原氏は、スイスが「伝統的な価値観にこだわり、外国人流入にアレルギー反応を起こし続ける」(『黒いスイス』170頁)可能性を危惧しているが、2009年のミナレット新設禁止に関する国民投票の結果(2009年12月6日付当ブログ参照)などを見ると、そうした流れは引き続き強まっていると言わざるを得ない。おそらくスイスの「国のかたち」の一端を構成する「保守性」が、グローバリゼーションに直面して、外国人に対する厳しい態度という形で現れているとでも考えたらよいのではなかろうか。
まあいずれにしても『ブランド王国スイスの秘密』は、経済紙的視点から、しかも小難しくなく、スイスの強さ、スイスらしさの所在を明らかにした好著と言えるように思う。